貞観政要 / 君道
昔在有隋,統一寰宇,甲兵強銳,三十餘年,風行萬里,威動殊俗。一旦舉而棄之,盡為他人之有。彼煬帝豈惡天下之治安,不欲社稷之長久,故行桀虐,以就滅亡哉!恃其富強,不虞後患。驅天下以從欲,罄萬物而自奉,采域中之子女,求遠方之奇異。宮苑是飾,臺榭是崇,徭役無時,幹戈不戢。外示嚴重,內多險忌,讒邪者必受其福,忠正者莫保其生。上下相蒙,君臣道隔,民不堪命,率土分崩。遂以四海之尊,殞於匹夫之手,子孫殄絕,為天下笑,可不痛哉!
新字:昔在有隋,統一寰宇,甲兵強鋭,三十余年,風行万里,威動殊俗。一旦舉而棄之,尽為他人之有。彼煬帝豈悪天下之治安,不欲社稷之長久,故行桀虐,以就滅亡哉!恃其富強,不虞後患。駆天下以従欲,罄万物而自奉,采域中之子女,求遠方之奇異。宮苑是飾,台榭是崇,徭役無時,幹戈不戢。外示厳重,内多険忌,讒邪者必受其福,忠正者莫保其生。上下相蒙,君臣道隔,民不堪命,率土分崩。遂以四海之尊,殞於匹夫之手,子孫殄絶,為天下笑,可不痛哉!
書き下し
昔、有隋(ゆうずい)に在りて、寰宇(かんう)を統一し、甲兵強鋭にして、三十余年、風は万里に行われ、威は殊俗を動かす。一旦、挙げて之を棄て、尽く他人の有と為る。彼の煬帝は豈に天下の治安を悪(にく)み、社稷の長久を欲せず、故に桀虐を行いて、以て滅亡に就かんとせしか。其の富強を恃みて、後患を虞(おもんばか)らず。天下を駆りて以て欲に従い、万物を罄(つ)くして自ら奉ず。域中の子女を采(と)り、遠方の奇異を求む。宮苑は是れ飾り、台榭(だいしゃ)は是れ崇(たっと)ぶ。徭役に時無く、干戈(かんか)戢(おさ)まらず。外には厳重を示し、内には険忌多し。讒邪なる者は必ず其の福を受け、忠正なる者は其の生を保つ莫し。上下相蒙(あいくら)まし、君臣の道隔たる。民は命に堪えず、率土(そつど)分崩す。遂に四海の尊を以て、匹夫の手に殞(お)つ。子孫は殄絶(てんぜつ)し、天下の笑いと為る。痛ましからざるべけんや。
現代語訳
昔、隋の時代には、天下を統一し、軍備は強く鋭く、三十余年にわたって、その勢いは万里に及び、威光は異民族をも動かしました。ところが一朝にして、それをすべて投げ捨て、ことごとく他人のものとなりました。あの煬帝が、天下の平和を憎み、国家の長久を望まず、わざと暴虐を行って滅亡へ突き進んだとでもいうのでしょうか。そうではありません。その富強を頼りにして、後の患いを考えなかったのです。天下を駆り立てて自分の欲望に従わせ、万物を使い果たして自分を養った。国じゅうの娘たちを集め、遠方の珍しいものを求めた。宮殿や庭園を飾り立て、高殿を尊んだ。労役に休みはなく、戦は絶えなかった。外には厳粛さを示しながら、内心では疑い深く陰険だった。讒言する者は必ず幸福を得、忠実で正しい者は命すら保てなかった。上下は互いに欺き合い、君臣の道は隔てられた。民は命令に耐えられず、国土は崩れ去った。ついに四海の頂点にいながら、一介の匹夫の手にかかって死んだ。子孫は絶え、天下の笑い者となった。痛ましいことではありませんか。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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貞観政要・刑法且つ我の代わる所は、実に隋に在り。隋氏の乱亡の源は、聖明の臨照する所なり。隋氏の府蔵を以て今日の資儲に譬え、隋氏の甲兵を以て当今の士馬に況(たと)え、隋氏の戸口を以て今時の百姓に校(くら)ぶるに、長を度り大を比するに、曾て何の等級ぞ。然れども隋氏は富強を以て喪敗す。之を動かせばなり。我は貧窮を以て安寧なり。之を静かにすればなり。之を静かにすれば則ち安く、之を動かせば則ち乱る。人皆な之を知る。隠れて見難きに非ざるなり。微にして察し難きに非ざるなり。然れども平易の途を蹈むこと鮮(すく)なく、多く覆車の轍に遵うは、何ぞや。安きに危きを思わず、治に乱を念わず、存に亡を慮らざるの致す所に在り。昔、隋氏の未だ乱れざるや、自ら必ず乱れずと謂えり。隋氏の未だ亡びざるや、自ら必ず亡びずと謂えり。所以に甲兵は屢々動き、徭役は息(や)まず。将に戮辱を受けんとするに至るまで、竟に未だ其の滅亡の由る所を悟らず。哀しまざるべけんや。
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貞観政要・辨興亡貞観二年、太宗黄門侍郎王珪に謂いて曰く、「隋の開皇十四年、大旱にして、人は多く饑乏す。是の時、倉庫は盈溢す。竟に賑給を許さず。乃ち百姓をして糧を逐わしむ。隋文は百姓を憐れまずして倉庫を惜しむ。末年に至るに比し、天下の儲積を計るに、五六十年に供するを得たり。煬帝は此の富饒を恃む。奢華無道なる所以なり。遂に滅亡を致す。煬帝の国を失うも、亦た此に由る。凡そ国を理むる者は、務めて人に積む。其の倉庫を盈たすに在らず。古人云う、『百姓足らずんば、君孰(たれ)と与に足らんや』と。但だ倉庫をして凶年に備うべからしめば、此の外、何ぞ儲蓄を煩わさんや。後嗣若し賢ならば、自ら能く其の天下を保たん。如し其れ不肖ならば、多く倉庫に積むは、徒らに其の奢侈を益すのみ。危亡の本なり」と。
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貞観政要・奢縦臣窃かに往代より以来の成敗の事を尋ぬるに、但だ黎庶の怨叛し、聚まりて盗賊と為るのみ有らば、其の国は即ち滅せざる無し。人主は悔い改めんと欲すと雖も、未だ重ねて能く安全なる者有らず。凡そ政教を修むるは、当に之を修むべきの時に之を修むべし。若し事変一たび起こりて、而る後に之を悔ゆれば、則ち益無きなり。故に人主は前代の亡ぶるを見る毎に、則ち其の政教の喪ぶる所以を知る。而して皆な其の身に失有るを知らず。是を以て殷の紂は夏の桀の亡ぶるを笑う。而して幽・厲も亦た殷の紂の滅ぶるを笑う。隋帝は大業の初め、又た周・斉の国を失うを笑う。然れども今の煬帝を視るは、亦た猶お煬帝の周・斉を視るがごときなり。故に京房は漢の元帝に謂いて云う、「臣は恐る、後の今を視るも、亦た猶お今の古を視るがごとからんことを」と。此の言は戒めざるべからざるなり。
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貞観政要・行幸貞観十一年、太宗洛陽宮に幸し、舟を積翠池に泛(うか)ぶ。顧みて侍臣に謂いて曰く、「此の宮観台沼は並びに煬帝の為す所なり。所謂る生民を駆役し、此の雕麗を窮む。復た此の一都を守る能わず、万民を以て慮と為さず。行幸を好みて息(や)まず。民の堪えざる所なり。昔、詩人云う、『何の草か黄ならざる。何の日か行かざる』『小東大東、杼軸(ちょじく)其れ空し』と。正に此を謂うなり。遂に天下をして怨叛せしめ、身は死し国は滅ぶ。今、其の宮苑は尽く我が有と為る。隋氏の傾覆する者は、豈に惟だ其の君の無道なるのみならんや。亦た股肱の良無きに由る。宇文述・虞世基・裴蘊の徒の如きは、高官に居り、厚禄を食み、人の委任を受くるも、惟だ諂佞を行い、聡明を蔽塞す。其の国をして危うき無からしめんと欲するも、得べからざるなり」と。司空長孫無忌奏言す、「隋氏の亡ぶるは、其の君は則ち忠讜の言を杜塞し、臣は則ち苟も自ら全うせんと欲す。左右に過ち有るも、初めより糾挙せず。寇盗滋蔓するも、亦た実に陳べず。此に拠らば、即ち惟だ天道のみならず、実に君臣の相い匡弼せざるに由る」と。太宗曰く、「朕と卿等と其の余弊を承く。惟だ須らく道を弘め風を移し、万世をして永く頼らしむべし」と。
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貞観政要・行幸貞観の初め、太宗侍臣に謂いて曰く、「隋の煬帝は広く宮室を造り、以て行幸を肆(ほしいまま)にす。西京より東都に至るまで、離宮別館は、道次に相い望む。乃ち并州・涿郡に至るまで、悉く然らざる無し。馳道は皆な広きこと数百歩。樹を種えて以て其の傍を飾る。人力は堪えず、相い聚まりて賊と為る。末年に逮(およ)び至りて、尺土一人も、復た己が有に非ず。此を以て之を観れば、宮室を広くし、行幸を好むは、竟に何の益か有らん。此れ皆な朕が耳の聞く所、目の見る所なり。深く以て自ら誡む。故に敢えて軽々しく人力を用いず。惟だ百姓をして安静ならしめ、怨叛有らざらしむるのみ」と。
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貞観政要・君臣鑑戒貞観三年、太宗侍臣に謂いて曰く、「君臣は本と治乱を同じくし、安危を共にす。若し主は忠諫を納れ、臣は直言を進めば、斯れ故に君臣は契を合わす。古来重んずる所なり。若し君自ら賢とし、臣匡正せずんば、危亡せざらんと欲するも、得べからざるなり。君其の国を失えば、臣も亦た独り其の家を全うする能わず。隋の煬帝の暴虐に至るが如きは、臣下は口を鉗ざす。卒に其の過ちを聞かざらしめ、遂に滅亡に至る。虞世基等も尋いで亦た誅死せり。前事遠からず。朕と卿等と、慎まざるを得べけんや。後の嗤う所と為る無かれ」と。
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