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神皇正統記 / 巻六 筆をとゞめず

ぬるが中なる夢の世は、いまにはじめぬならひとはしりながら、かず〳〵めのまへなる心ちして老泪もかきあへねば、筆の跡さへとゞこほりぬ。昔、「仲尼は獲麟に筆をたつ。」とあれば、こゝにてとゞまりたくはべれど、神皇正統のよこしまなるまじき理を申のべて、素意の末をもあらはさまほしくて、しひてしるしつけ侍るなり。

書き下し

ぬるが中なる夢の世は、いまにはじめぬならひとはしりながら、かずかずめのまへなる心ちして老泪もかきあへねば、筆の跡さへとゞこほりぬ。昔、「仲尼は獲麟に筆をたつ。」とあれば、こゝにてとゞまりたくはべれど、神皇正統のよこしまなるまじき理を申のべて、素意の末をもあらはさまほしくて、しひてしるしつけ侍るなり。

現代語訳

まどろむ中の夢のような世は、今に始まったならわしではないと知りながら、次々と目の前に起こることのような心地がして、老いの涙もこらえきれないので、筆の跡さえ滞ってしまった。昔、「孔子は獲麟のところで筆を絶った」とあるので、ここで筆をとどめたく思うけれども、神皇の正統が筋を外れることのない道理を申し述べて、かねての志の末を明らかにしたいと思って、しいて書きつけておくのである。

解説

後醍醐天皇の死を記したあとに置かれた、著者自身の言葉である。孔子は『春秋』を書いていて麒麟が捕らえられた記事のところで筆を絶ったという故事がある。親房はそれを引いて、自分もここでやめたいと言う。老いの涙で筆が進まない、とまで書く。書き手が崩れているところを、そのまま残している。それでも続ける理由が最後に置かれる。「素意の末をもあらはさまほしくて、しひてしるしつけ侍るなり」——かねての志の続きを形にしたいから、しいて書きつける。「しひて」の一語が重い。気力が満ちているから書くのではない。折れたまま、無理にでも続けるという意味である。この書は戦のさなか、資料もない城の中で、負けている側の老人が書いた。その事情を隠さずに終わるところに、この書の誠実さがある。

この章句が説くこと

獲麟素意しひてしるしつけ書き続ける理由

この一句を、あなたの毎日に。

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