神皇正統記 / 巻五 群書治要
寛平の群書治要をさしての給ける、部せばきに似たり。但此書は唐太宗、時の名臣魏徴をしてえらばせられたり。五十巻の中に、あらゆる経・史・諸子までの名文をのせたり。全経の書・三史等をぞつねの人はまなぶる。此書にのせたる諸子なんどはみる者すくなし。ほと〳〵名をだにしらぬたぐひもあり。まして万機をしらせ給はんに、これまでまなばせ給ことよしなかるべきにや。本経等をならはせまし〳〵そまではあるべからず。已に雑文とてあれば、経・史の御学問のうへに此書を御覧じて諸子等の雑文までなくともの御心なり。
書き下し
寛平の群書治要をさしての給ける、部せばきに似たり。但此書は唐太宗、時の名臣魏徴をしてえらばせられたり。五十巻の中に、あらゆる経・史・諸子までの名文をのせたり。全経の書・三史等をぞつねの人はまなぶる。此書にのせたる諸子なんどはみる者すくなし。ほとほと名をだにしらぬたぐひもあり。まして万機をしらせ給はんに、これまでまなばせ給ことよしなかるべきにや。本経等をならはせましましそまではあるべからず。已に雑文とてあれば、経・史の御学問のうへに此書を御覧じて諸子等の雑文までなくともの御心なり。
現代語訳
宇多天皇が『群書治要』を名指しでおっしゃったのは、範囲が狭いように見える。ただしこの書は唐の太宗が、当時の名臣である魏徴に選ばせたものである。五十巻の中に、あらゆる経書・史書・諸子までの名文を載せている。経書そのものや三史などは、普通の人でも学ぶ。この書に載っている諸子などは見る者が少ない。ほとんど名さえ知らない者もいる。まして万機をお執りになるのに、そこまで学ばれる必要はないだろう。経書そのものを習われるのはそこまでのことではない。すでに「雑文」とあるのだから、経書・史書の御学問のうえにこの書をご覧になって、諸子などの雑多な文章まではなくてよい、という御心なのである。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『神皇正統記』巻五 帝王の学問大方この君は中古よりこなたにはありがたき御ことゝぞ申侍べき。文学の方も後三条の後にはかほどの御才きこえさせ給はざりしにや。寛平の御誡には、帝皇の御学問は群書治要などにてたりぬべし。雑文につきて政事をさまたげ給ふなとみえたるにや。されど延喜・天暦・寛弘・延久の御門みな宏才博覧に、諸道をもしらせたまひ、政事も明にましまししかば、先二代はことふりぬ、つぎては寛弘・延久をぞ賢王とも申める。和漢の古事をしらせ給はねば、政道もあきらかならず、皇威もかろくなる、さだまれる理なり。
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貞観政要・崇儒学貞観四年、太宗は経籍の聖を去ること久遠にして、文字の訛謬(かびゅう)せるを以て、前の中書侍郎顔師古に詔して秘書省に於て五経を考定せしむ。功の畢わるに及び、復た尚書左僕射房玄齢に詔して諸儒を集めて重ねて詳議を加えしむ。時に諸儒は師説を伝習し、舛謬(せんびゅう)すること已に久し。皆な共に之を非とし、異端蜂起す。而して師古は輒ち晋・宋以来の古本を引き、方に随いて暁答す。援拠は詳明にして、皆な其の意表に出づ。諸儒は嘆服せざる莫し。太宗善しと称すること之を久しくす。帛五百匹を賜い、通直散騎常侍を加授す。其の定むる所の書を天下に頒(わか)ち、学者をして焉(これ)を習わしむ。太宗又た文学の門多く、章句の繁雑なるを以て、師古と国子祭酒孔穎達等の諸儒に詔して、五経の疏義を撰定せしむ。凡そ一百八十巻。名づけて『五経正義』と曰う。国学に付して施行せしむ。
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『神皇正統記』巻五 第九十代 後宇多院寛平はことにひろくまなばせ給ければにや、周易の深き道をも愛成と云博士にうけさせ給き。延喜の御こと左右にあたはず。菅氏輔佐したてまつられき。其後も紀納言・善相公等の名儒ありしかば、文道のさかりなりしことも上古におよべりき。此御誡につきて「天子の御学問さまでなくとも」と申人のはべる、あさましきことなり。何事も文の上にてよく料簡あるべきをや。此君は在位にても政事をしらせ給はず、又院にて十余年閑居し給へりしかば、稽古にあきらかに、諸道をしらせ給なるべし。御出家の後もねむごろにおこなはせましましき。上皇の出家せさせ給ことは、聖武・孝謙・平城・清和・宇多・朱雀・円融・花山・後三条・白河・鳥羽・崇徳・後白河・後鳥羽・後嵯峨・深草・亀山にまします。醍醐・一条は御病おもくなりてぞせさせ給し。かやうにあまたきこえさせ給しかど、戒律を具足し、始終かくることなく密宗をきはめて大阿闍梨をさへせさせ給しこといとありがたき御こと也。この御すゑに一統の運をひらかるゝ、有徳の余薫とぞおもひ給る。元亨のすゑ甲子の六月に五十八歳にてかくれましましき。
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『宋名臣言行録』後集巻九・曾肇公嘗て奏して言う、近世の帝王善く治を爲す者は唐の太宗に如くは莫し。善く治を言う者は唐の陸贄に如くは莫し。太宗の貞觀の治は論者成康に庶幾しと謂う。史官其の大なる者を掇りて別に一書と爲し、之を貞觀政要と謂う。陸贄唐の德宗に事え、知りて言わざる無く言いて盡くさざる無し。其の歸を要むれば必ず帝王の道に本づき、必ず六藝の文に稽う。此の二書は一代の文章と雖も實に百王の龜鑑なり。願わくは陛下此の二書を取りて之を座右に置き、神を留めて省覽し、言を發し事を行うに之を以て準と爲せ。庶わくは聖德に補うこと萬一有らんと。
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貞観政要・崇儒学貞観二年、太宗侍臣に謂いて曰く、「政を為すの要は、惟だ人を得るに在り。用うるに其の才に非ずんば、必ず治を致し難し。今、任用する所は、必ず須らく徳行・学識を以て本と為すべし」と。諫議大夫王珪曰く、「人臣、若し学業無くんば、前言往行を識る能わず。豈に大任に堪えんや。漢の昭帝の時、人有りて詐りて衛太子と称す。聚まり観る者数万人。衆は皆な惑を致す。雋不疑(しゅんふぎ)は蒯聵(かいがい)の事を以て断ず。昭帝曰く、『公卿大臣は、当に経術に古義を明らかにする者を用うべし。此れ則ち固より刀筆の俗吏の比擬すべき所に非ず』と」と。上曰く、「信に卿の言の如し」と。
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貞観政要・悔過貞観二年、太宗房玄齢に謂いて曰く、「人と為るに、大いに須らく学問すべし。朕は往に群兇未だ定まらざるが為に、東西に征討し、躬ら戎事に親しみ、書を読むに暇あらず。比来、四海安静にして、身は殿堂に処る。自ら書巻を執る能わず。人をして読ましめて之を聴く。君臣父子、政教の道は、共に書内に在り。古人云う、『学ばざれば、墻に面するがごとし。事に蒞(のぞ)みて惟れ煩わし』と。徒言ならざるなり。却(かえ)りて少小の時の行事を思うに、大いに非なるを覚ゆ」と。
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