神皇正統記 / 巻五 書をみせるな
尚書に堯・舜・禹の徳をほむるには「古に若稽。」と云ふ。傅説が殷高宗ををしへたるには「事古を師とせずして、世にながきことは説がきかざる所なり。」とあり。唐に仇士良とて、近習の宦者にて内権をとる、極たる奸人也。其党類にをしへけるは「人主に書をみせたてまつるな。はかなきあそびたはぶれをして御心をみだるべし。書をみて此道を知たまはゝ、我ともがらはうせぬべし。」と云ける、今もありぬべきことにや。
書き下し
尚書に堯・舜・禹の徳をほむるには「古に若稽。」と云ふ。傅説が殷高宗ををしへたるには「事古を師とせずして、世にながきことは説がきかざる所なり。」とあり。唐に仇士良とて、近習の宦者にて内権をとる、極たる奸人也。其党類にをしへけるは「人主に書をみせたてまつるな。はかなきあそびたはぶれをして御心をみだるべし。書をみて此道を知たまはゝ、我ともがらはうせぬべし。」と云ける、今もありぬべきことにや。
現代語訳
『尚書』に堯・舜・禹の徳を讃えるには「古に稽える」と言う。傅説が殷の高宗を教えたときには「事を古に師としないで、世に長く続いたということは、私は聞いたことがない」とある。唐に仇士良という、近習の宦官で内々の権力を握った、きわめつきの奸人がいた。その一味に教えたのは「君主に書物をお見せするな。くだらない遊びや戯れをして、お心を乱すのがよい。書を読んでこの道理を知られたら、我々の仲間は滅んでしまう」ということであった。今もありそうなことではないか。
解説
この書の中でも指折りに鋭い一段である。前半は正攻法の引用——古に学ばずに長く続いた例はない。後半で唐の宦官・仇士良の話が出る。彼が手下に授けた極意はこうだった。「人主に書をみせたてまつるな。はかなきあそびたはぶれをして御心をみだるべし。書をみて此道を知たまはゝ、我ともがらはうせぬべし」。君主に本を読ませるな。くだらない娯楽で気を紛らわせておけ。読まれて道理を知られたら、我々は終わりだ。学ばせないことが、操る側の第一の技術として名指しされている。そして親房が付け加える一言が刺さる。「今もありぬべきことにや」——今でもありそうなことではないか。忙しさや気晴らしで学ぶ時間が消えているとき、それが誰の利益になっているかを、この一句は問うてくる。
この章句が説くこと
仇士良人主に書をみせたてまつるな稽古学ばせない技術