神皇正統記 / 巻五 徳政なくして
頼朝勲功は昔よりたぐひなき程なれど、ひとへに天下を掌にせしかば、君としてやすからずおぼしめしけるもことわりなり。況や其跡たえて後室の尼公陪臣の義時が世になりぬれば、彼跡をけづりて御心のまゝにせらるべしと云も一往いひなきにあらず。しかれど白河・鳥羽の御代の比より政道のふるきすがたやう〳〵おとろへ、後白河の御時兵革おこりて姦臣世をみだる。天下の民ほとんど塗炭におちにき。頼朝一臂をふるひて其乱をたひらげたり。王室はふるきにかへるまでなかりしかど、九重の塵もをさまり、万民の肩もやすまりぬ。上下堵をやすくし、東より西より其徳に伏せしかば、実朝なくなりてもそむく者ありとはきこえず。是にまさる程の徳政なくしていかでたやすくくつがへさるべき。
書き下し
頼朝勲功は昔よりたぐひなき程なれど、ひとへに天下を掌にせしかば、君としてやすからずおぼしめしけるもことわりなり。況や其跡たえて後室の尼公陪臣の義時が世になりぬれば、彼跡をけづりて御心のまゝにせらるべしと云も一往いひなきにあらず。しかれど白河・鳥羽の御代の比より政道のふるきすがたやうやうおとろへ、後白河の御時兵革おこりて姦臣世をみだる。天下の民ほとんど塗炭におちにき。頼朝一臂をふるひて其乱をたひらげたり。王室はふるきにかへるまでなかりしかど、九重の塵もをさまり、万民の肩もやすまりぬ。上下堵をやすくし、東より西より其徳に伏せしかば、実朝なくなりてもそむく者ありとはきこえず。是にまさる程の徳政なくしていかでたやすくくつがへさるべき。
現代語訳
頼朝の勲功は昔から例がないほどのものだったが、ひとえに天下を掌中にしたので、君として心穏やかでなくお思いになったのももっともである。まして、その血筋が絶えて、後家の尼公や陪臣にすぎない義時の世になったのだから、その跡を削ってお心のままにされるべきだというのも、一往は言い分がないわけではない。しかしながら、白河・鳥羽の御代の頃から政道の古い姿はしだいに衰え、後白河の御時には兵乱が起こって姦臣が世を乱した。天下の民はほとんど塗炭の苦しみに落ちた。頼朝が一臂を振るってその乱を平らげた。王室が昔に返るところまではいかなかったけれども、都の塵も収まり、万民の肩も安まった。上下ともに安んじて住まい、東からも西からもその徳に伏したので、実朝が亡くなっても背く者があるとは聞こえなかった。これにまさるほどの徳政もなしに、どうして簡単に覆すことができようか。