法句経 / 第二十一 雑の部 三〇四・三〇五
三〇四 善人は雪山の如く遠處にても顯はる、不善人は近くに在りても見られず、夜に放てる箭の如し。 三〇五 獨り一坐一臥を行じて倦まず、獨り己を調へ、林の中に(在る如く寂靜を)樂むべし。
新字:三〇四 善人は雪山の如く遠処にても顕はる、不善人は近くに在りても見られず、夜に放てる箭の如し。 三〇五 独り一坐一臥を行じて倦まず、独り己を調へ、林の中に(在る如く寂静を)楽むべし。
書き下し
三〇四 善人は雪山の如く遠処にても顕はる、不善人は近くに在りても見られず、夜に放てる箭の如し。 三〇五 独り一坐一臥を行じて倦まず、独り己を調へ、林の中に(在る如く寂静を)楽むべし。
現代語訳
善き人は雪山のように、遠くにいても現れる。善からぬ人は近くにいても見られない。夜に放った矢のように。独り座し独り臥すことを行って倦まず、独り自分を整え、林の中にいるように静けさを楽しむべきである。
解説
三〇四の対比が鮮やかである。善き人は雪をかぶった山のように、遠く離れていても見える。善からぬ人は、すぐ近くにいても見えない。夜に射た矢のように。距離ではなく、その人自身が光を返すかどうかで決まる、という話だ。宣伝や露出の話をしているのではない。雪山は自分から光っているのではなく、光を受けて返している。三〇五は打って変わって独りの作法を説く。独り座し、独り臥し、独り自分を整える。ここで注意したいのは「倦まず」の一語である。独りでいることは、始めるのは易しく続けるのが難しい。そして「林の中に在る如く」——静けさは場所ではなく、持ち歩くものとして書かれている。
この章句が説くこと
善人は雪山の如し夜に放てる箭独り一坐一臥静けさを持ち歩く