法句経 / 第十二 己身の部 一六五・一六六
一六五 自ら罪を造りて汚れ、自ら罪を造らずして自ら淨めり、淨不淨は己に屬す、他に由りて淨めらるゝことなし。 一六六 他を利することは如何に重大なりとも、己を益することを廢むべからず、己の本分を識りて恆に本分に專心なれ。
新字:一六五 自ら罪を造りて汚れ、自ら罪を造らずして自ら浄めり、浄不浄は己に属す、他に由りて浄めらるゝことなし。 一六六 他を利することは如何に重大なりとも、己を益することを廃むべからず、己の本分を識りて恒に本分に専心なれ。
書き下し
一六五 自ら罪を造りて汚れ、自ら罪を造らずして自ら浄めり、浄不浄は己に属す、他に由りて浄めらるゝことなし。 一六六 他を利することは如何に重大なりとも、己を益することを廃むべからず、己の本分を識りて恒に本分に専心なれ。
現代語訳
自ら罪を造って汚れ、自ら罪を造らずして自ら浄まる。浄いも浄くないも自分に属する。他人によって浄められることはない。他を利することがどれほど重大であっても、自分を益することをやめてはならない。自分の本分を知り、常に本分に専心せよ。
解説
一六五の「淨不淨は己に屬す、他に由りて淨めらるゝことなし」は、原始仏教の立場を端的に示す一句である。誰かが代わりに清めてくれることはない。厳しい言葉だが、裏を返せば、誰にも汚されないということでもある。他人の評価によって自分の値打ちが決まらないという救いが、同じ一句に入っている。一六六は誤読されやすい。「他を利することは如何に重大なりとも、己を益することを廢むべからず」——利他より自利を取れ、と読めてしまう。しかしここでの「己を益する」は私欲ではなく、自分の本分を果たすことである。他人の役に立とうとして自分の持ち場を空けるな、という話だ。手伝いに走り回って本業が崩れる、という事態は、善意ほど起きやすい。
この章句が説くこと
浄不浄は己に属す他に由りて浄められず己の本分自利と利他