法句経 / 第十二 己身の部 一五八〜一六〇
一五八 初めに自ら應爲に住すべし、而して後他人を誨へよ、(斯くする)智者は煩はざらん。 一五九 他に誨ゆる如く自ら剋修すべし、(自ら)善く調めて而して後能く(他を)調む、己を調むるは實に難し。 一六〇 己を以て主とす、他に何ぞ主あらんや、己を善く調めぬれば能く得難き主を得。
新字:一五八 初めに自ら応為に住すべし、而して後他人を誨へよ、(斯くする)智者は煩はざらん。 一五九 他に誨ゆる如く自ら剋修すべし、(自ら)善く調めて而して後能く(他を)調む、己を調むるは実に難し。 一六〇 己を以て主とす、他に何ぞ主あらんや、己を善く調めぬれば能く得難き主を得。
書き下し
一五八 初めに自ら応為に住すべし、而して後他人を誨へよ、(斯くする)智者は煩はざらん。 一五九 他に誨ゆる如く自ら剋修すべし、(自ら)善く調めて而して後能く(他を)調む、己を調むるは実に難し。 一六〇 己を以て主とす、他に何ぞ主あらんや、己を善く調めぬれば能く得難き主を得。
現代語訳
まず初めに自分がなすべきことに立て。しかる後に他人を教えよ。そうする智者は煩うことがない。他に教えるように自ら修めるべきである。自らよく整えて、しかる後によく他を整える。自分を整えることは実に難しい。自分をこそ主とする。他に何の主があろうか。自分をよく整えたなら、得がたい主を得ることができる。
解説
第十二章「己身の部」の中心である。順序が三段に分かれている。第一に、まず自分がなすべきところに立つ。第二に、教える内容を自分で行う。第三に、自分が整ってから他を整える。人を導く資格の話ではなく、順番の話だ。そのうえで「己を調むるは實に難し」と、あっさり難しさを認める。難しいと知りながらその順序を崩すな、と言っている。一六〇の「己を以て主とす、他に何ぞ主あらんや」は、この経を代表する一句である。頼れる主は自分のほかにない。ただし、その自分は放っておいて主になるのではない。「己を善く調めぬれば能く得難き主を得」——整えて初めて主になる。自分を信じよという励ましではなく、主として使えるまで整えよという要求である。
この章句が説くこと
初めに自ら応為に住す己を以て主とす己を調む順序自己修養率先垂範
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