法句経 / 第十一 老耄の部 一五三・一五四
一五三 吾れ屋宅の作者を求めて此を見ず、多生の輪廻を經たり、生々苦ならざるなし。 一五四 屋宅の作者よ、汝は見られたり、再び屋宅を造る勿れ、汝のあらゆる桷は折れたり、棟梁は毀れたり、心は造作すること無し、愛欲を盡し了る。
新字:一五三 吾れ屋宅の作者を求めて此を見ず、多生の輪廻を経たり、生々苦ならざるなし。 一五四 屋宅の作者よ、汝は見られたり、再び屋宅を造る勿れ、汝のあらゆる桷は折れたり、棟梁は毀れたり、心は造作すること無し、愛欲を尽し了る。
書き下し
一五三 吾れ屋宅の作者を求めて此を見ず、多生の輪廻を経たり、生々苦ならざるなし。 一五四 屋宅の作者よ、汝は見られたり、再び屋宅を造る勿れ、汝のあらゆる桷は折れたり、棟梁は毀れたり、心は造作すること無し、愛欲を尽し了る。
現代語訳
私は家の作り手を求めて、これを見つけられなかった。幾たびもの生死の輪廻を経てきた。生まれ変わるたび苦しみでないことはなかった。家の作り手よ、おまえは見られた。再び家を造ることはない。おまえのあらゆる垂木は折れた。棟木は壊れた。心は造作することがない。愛欲を尽くし終わった。
解説
釈尊が悟りを開いたときに発したと伝えられる二偈で、荻原は「屋宅」に「変化的生死の存在を喩ふ」と註を付けている。何度も何度も建て直されてきた家。その建築主を探し続けて見つからなかった、という長い前置きのあとに、「屋宅の作者よ、汝は見られたり」と正面から呼びかける。見つけた、ではなく「見られた」——相手が姿を現してしまった、という受け身の言い方が印象深い。そして垂木が折れ、棟木が壊れる。家が解体されていく描写で悟りが語られる。何かを得た話ではなく、造り続けてきたものが崩れ、造る力そのものが尽きた話として書かれている。作り手の正体は愛欲であり、最後の一句がそれを明かす。
この章句が説くこと
屋宅の作者成道の偈垂木と棟木愛欲を尽くす