法句経 / 第三 心の部 四二・四三
四二 怨が怨に對して爲し、敵が敵に對して爲す處は如何なりとも、邪に向ふ心の造る害惡に若くものなし。 四三 母、父、また其他の親戚の爲す所は如何なりとも、正に向ふ心の造れる幸福に若くものなし。
新字:四二 怨が怨に対して為し、敵が敵に対して為す処は如何なりとも、邪に向ふ心の造る害悪に若くものなし。 四三 母、父、また其他の親戚の為す所は如何なりとも、正に向ふ心の造れる幸福に若くものなし。
書き下し
四二 怨が怨に対して為し、敵が敵に対して為す処は如何なりとも、邪に向ふ心の造る害悪に若くものなし。 四三 母、父、また其他の親戚の為す所は如何なりとも、正に向ふ心の造れる幸福に若くものなし。
現代語訳
怨みある者が怨みある者に対してすること、敵が敵に対してすることがどれほどであろうとも、邪に向かう心の造る害悪には及ばない。母も、父も、その他の親族がしてくれることがどれほどであろうとも、正に向かう心の造る幸福には及ばない。
解説
対句の作りが見事な二偈である。前半——敵があなたに与える害の最大値より、自分の心が邪に向かうときの害のほうが大きい。後半——親があなたに与える幸福の最大値より、自分の心が正に向かうときの幸福のほうが大きい。害と幸福の両方について、外からのものは自分の心には及ばないと言い切る。ここには冷たさもある。親の愛より自分の心のほうが大きい、というのは、恩を軽んじる言葉にも読める。だが力点は比較ではなく所在にある。最大の敵も最大の味方も、外ではなく自分の心の向きにいる。だとすれば、誰かを恨むことも、誰かに期待することも、扱う場所を間違えているということになる。
この章句が説くこと
邪に向かう心正に向かう心敵と親所在
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