秘本玉くしげ / 下 神事は楽しく
又、神事に風流俳優などをなし、或は酒を飮み樂み遊ぶを無益の事と思ふも、大にひがこと也。神に物を供して祭るのみならず、人も同じく飮食し、面白くにぎはしく樂しみ遊ぶを、神は悅び玉ふこと也。
新字:又、神事に風流俳優などをなし、或は酒を飮み楽み遊ぶを無益の事と思ふも、大にひがこと也。神に物を供して祭るのみならず、人も同じく飮食し、面白くにぎはしく楽しみ遊ぶを、神は悅び玉ふこと也。
書き下し
又、神事に風流俳優などをなし、或は酒を飮み楽み遊ぶを無益の事と思ふも、大にひがこと也。神に物を供して祭るのみならず、人も同じく飮食し、面白くにぎはしく楽しみ遊ぶを、神は悅び玉ふこと也。
現代語訳
また、神事に風流や俳優などを催し、あるいは酒を飲み楽しみ遊ぶことを無益なことだと思うのも、大きな間違いである。神に物を供えて祭るだけでなく、人も同じように飲食し、面白く賑やかに楽しみ遊ぶのを、神はお喜びになるのである。
解説
本書を締めくくる一段である。前段で宣長は、倹約といえばまず神事や先祖の祭りを削ろうとする風潮を「いかにぞや」と嘆き、「己が身分のみ奢をまして神を祭る事をばまさずしてはいかが」と書いていた。そのうえでこの結論に至る。祭りの賑わいを無駄だと思うのは間違いだ、と。理由が簡潔である。「人も同じく飮食し、面白くにぎはしく樂しみ遊ぶを、神は悅び玉ふ」。神は、人が楽しんでいることを喜ぶ。供物を捧げる厳粛さではなく、人の側の賑わいが本体だという。政治と財政と刑罰を厳しく論じ続けてきた三万六千字が、この一行で閉じられる。締めるべきところを締めよと説いた同じ人が、最後に、削ってはいけないものがあると言い残した。何を残すかは、何を削るかと同じだけ考えるに値する、という置き土産である。
この章句が説くこと
神事風流俳優神は悦び玉ふ削らないもの