秘本玉くしげ / 下 家中の禄
されば、さしつまりてやむことを得ざるときは、御家中の祿を年を限りて減じ玉ふより外の上策はなし。これ當然のあたりまへ也。但し御家中大小上下、いづれもいづれもほどほどに、先祖よりその祿を玉はり、御蔭によりて家をたて、代代妻子をはぐくみ、家の子を扶持し來りたるに、俄にその祿を過分減ぜられては、一同に甚難義の至り。殊に近年世上困窮の時節、御家中は別して切つめたる祿にて、餘分くつろぎもありにくきうへなれば、いよいよ難澁の人人多からんこと、まことにいとをしき御事なれば、なるべきだけは此事はなくてあらまほしきものなれども、上の御身分につきたる御物入どもをも、なるべきだけ省略減少せられ、はしばしくまぐままで御手をつめられて、そのうへやむことを得ぬときは、此法より外に作略は有まじきこと也。
新字:されば、さしつまりてやむことを得ざるときは、御家中の禄を年を限りて減じ玉ふより外の上策はなし。これ当然のあたりまへ也。但し御家中大小上下、いづれもいづれもほどほどに、先祖よりその禄を玉はり、御蔭によりて家をたて、代代妻子をはぐくみ、家の子を扶持し来りたるに、俄にその禄を過分減ぜられては、一同に甚難義の至り。殊に近年世上困窮の時節、御家中は別して切つめたる禄にて、余分くつろぎもありにくきうへなれば、いよいよ難渋の人人多からんこと、まことにいとをしき御事なれば、なるべきだけは此事はなくてあらまほしきものなれども、上の御身分につきたる御物入どもをも、なるべきだけ省略減少せられ、はしばしくまぐままで御手をつめられて、そのうへやむことを得ぬときは、此法より外に作略は有まじきこと也。
書き下し
されば、さしつまりてやむことを得ざるときは、御家中の禄を年を限りて減じ玉ふより外の上策はなし。これ当然のあたりまへ也。但し御家中大小上下、いづれもいづれもほどほどに、先祖よりその禄を玉はり、御蔭によりて家をたて、代代妻子をはぐくみ、家の子を扶持し来りたるに、俄にその禄を過分減ぜられては、一同に甚難義の至り。殊に近年世上困窮の時節、御家中は別して切つめたる禄にて、余分くつろぎもありにくきうへなれば、いよいよ難渋の人人多からんこと、まことにいとをしき御事なれば、なるべきだけは此事はなくてあらまほしきものなれども、上の御身分につきたる御物入どもをも、なるべきだけ省略減少せられ、はしばしくまぐままで御手をつめられて、そのうへやむことを得ぬときは、此法より外に作略は有まじきこと也。
現代語訳
であるから、行き詰まってやむを得ないときは、御家中の禄を年限を切って減らされるよりほかに上策はない。これは当然のあたりまえである。ただし御家中の大小上下、いずれもそれぞれの程度に、先祖からその禄を賜り、その御蔭によって家を立て、代々妻子を養い、家来を扶持してきたのに、にわかにその禄を過分に減らされては、一同に甚だしい難儀である。ことに近年の世が困窮している時節、御家中はとりわけ切りつめた禄で、余分のゆとりもありにくいうえだから、いよいよ難渋する人々が多かろうことは、まことにいとおしい御事である。だからできるかぎりこのことはなくてありたいものだが、上の御身分に付随する御物入りをも、できるかぎり省略し減少され、隅々細々まで御手を詰められて、そのうえでやむを得ないときは、この法よりほかに手立てはない。
解説
この章句が説くこと
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葉隠・聞書第二御位牌(ごいはい)釈迦堂より御移しなされ候を、何某(なにがし)見附け候て、申し達すべきやと、相談申され候に付て、「尤もの事に候。斯様(かよう)の儀は御無用に候。然れども仰せ達せらるる儀は御存じ寄り候人、今時、御手前ならではこれなき事に候。斯様の儀は御存じ寄り候て、申し達すべきやと、相談申され、御手前御外聞(ごがいぶん)よくなり申す事に候。若し相済まざる時は、いよいよ宜しからざる儀と取沙汰仕り、御手前御外聞ばかりよく候。悪事は我が身にかぶり申すこそ当介(とうかい)にて候。今の如くして先づ召し置かれ候時は、誰ぞ気の附き申す者もこれなく、何の沙汰もなく相済み申す事に候。さ候て、何時ぞ、時節次第沙汰なしに、元の如く御直り候様に致す様これあるべく候。」と申し候て、差し留め置き申し候。斯様の事にて、上の御不調法、世間に知れ申す事これある儀に候。心を附け罷り在り候へば、しかと、よき時節がふり来るものに候。大方、悪事は内輪から言い崩すもの、親子兄弟入魂(じっこん)の間などは格別と存じ、隠密沙汰なしなどと申し候て話し候へば、やがてひろがり、後に自国他国日本国に洩れ聞え申す事、間もなきものに候。又下人あたり其の外、内証(ないしょう)にて仕方悪しき人は、やがて世上に悪名唱え申し候。内輪ほど慎み申すべき事なり。
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説苑・立節晋の献公の時、士有り、狐突と曰う。太子申生に傅たり。公驪姫を立てて夫人と為し、国憂い多し。狐突疾と称して出でず。六年、献公譖を以て太子を誅す。太子将に死せんとし、人をして狐突に謂わしめて曰わく、「吾が君老いたり、国家難多し。傅一たび出でて以て吾が君を輔けよ。申生賜を受けて以て死すとも恨みず」と。再拝稽首して死す。狐突乃ち復た献公に事う。三年、献公卒す。狐突諸大夫に辞して曰わく、「突太子の詔を受く。今事終われり。其の久しく乱世に生くるよりは、死して太子に報ゆるに若かず」と。乃ち帰りて自殺す。
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史記 范雎蔡沢列伝蔡沢曰く、「若し夫れ秦の商君、楚の呉起、越の大夫種、その卒然たるもまた願ふべきか」と。応侯、蔡沢の己を困しめて以て説かんと欲するを知り、また謬りて曰く、「何為れぞ不可ならん。夫れ公孫鞅の孝公に事ふるや、身を極めて貳慮無く、公を尽くして私を顧みず。刀鋸を設けて以て姦邪を禁じ、賞罰を信にして以て治を致す。腹心を披き、情素を示し、怨咎を蒙り、旧友を欺き、魏の公子卬を奪ひ、秦の社稷を安んじ、百姓を利し、卒に秦の為に将を禽にし敵を破り、地を攘ふこと千里。呉起の悼王に事ふるや、私をして公を害するを得ざらしめ、讒をして忠を蔽ふを得ざらしめ、言は茍合を取らず、行ひは茍容を取らず、危ふきが為に行ひを易へず、義を行ひて難を辟けず、然して霸主の為に国を彊くし、禍凶を辞せず。大夫種の越王に事ふるや、主困辱すと雖も、忠を悉くして解らず、主絶亡すと雖も、能を尽くして離れず、功を成して矜らず、貴富にして驕怠せず。此の三子の若き者は、固より義の至りなり、忠の節なり。是の故に君子は義を以て難に死し、死を視ること帰するが如し。生きて辱めらるるは死して栄あるに如かず。士は固より身を殺して以て名を成す有り、義の在る所と雖も、死すと雖も恨む所無し。何為れぞ不可ならんや」と。蔡沢曰く、「主聖に臣賢なるは、天下の盛福なり。君明に臣直なるは、国の福なり。父慈に子孝に、夫信に妻貞なるは、家の福なり。故に比干は忠なれども殷を存する能はず、子胥は智なれども呉を完くする能はず、申生は孝なれども晋国乱る。是れ皆忠臣孝子有りて、国家滅乱する者は、何ぞや。明君賢父以てこれを聴く無し。故に天下その君父を以て僇辱と為してその臣子を憐れむ。今、商君・呉起・大夫種の人臣たるは、是なり。その君は非なり。故に世に三子は功を致して徳とせられずと称す、豈に世に遇はずして死するを慕はんや。
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史記 刺客列伝居ること頃之、豫譲又身に漆して厲と為り、炭を呑みて唖と為り、形状をして知るべからざらしめ、市に行乞す。其の妻識らざるなり。行きて其の友に見ゆ。其の友之を識りて曰く、「汝は豫譲に非ずや」と。曰く、「我是なり」と。其の友為に泣きて曰く、「子の才を以て、質を委ねて臣として襄子に事へば、襄子必ず子を近幸せん。子を近幸せば、乃ち欲する所を為すこと、顧って易からずや。何ぞ乃ち身を残し形を苦しめ、以て襄子に報ぜんことを求めんと欲する。亦難からずや」と。豫譲曰く、「既已に質を委ねて臣として人に事へ、而して之を殺さんことを求むるは、是れ二心を懐きて以て其の君に事ふるなり。且つ吾が為す所の者は極めて難きのみ。然れども此を為す所以の者は、将に以て天下後世の人臣と為りて二心を懐きて以て其の君に事ふる者を愧ぢしめんとするなり」と。既に去り、頃之、襄子当に出づべし。豫譲、当に過ぐべき所の橋の下に伏す。襄子橋に至り、馬驚く。襄子曰く、「此れ必ず是れ豫譲ならん」と。人をして之を問はしむれば、果して豫譲なり。是に於て襄子乃ち豫譲を数めて曰く、「子は嘗て范・中行氏に事へずや。智伯尽く之を滅ぼす。而るに子は為に讎を報ぜず、而して反って質を委ねて智伯に臣たり。智伯も亦已に死せり。而るに子独り何を以て之が為に讎を報ずることの深きや」と。豫譲曰く、「臣、范・中行氏に事ふ。范・中行氏は皆衆人もて我を遇す。我故に衆人もて之に報ず。智伯に至りては、国士もて我を遇す。我故に国士もて之に報ず」と。襄子喟然として嘆息して泣きて曰く、「嗟乎豫子。子の智伯の為にする、名既に成れり。而して寡人の子を赦す、亦已に足れり。子其れ自ら計を為せ。寡人復た子を釈さず」と。兵をして之を囲ましむ。豫譲曰く、「臣聞く、明主は人の美を掩はず、而して忠臣は名に死するの義有りと。前に君已に寛く臣を赦し、天下君の賢を称せざる莫し。今日の事、臣固より誅に伏せん。然れども願はくは君の衣を請ひて之を撃ち、以て讎を報ずるの意を致さば、則ち死すと雖も恨みず。敢て望む所に非ざるなり。敢て腹心を布く」と。是に於て襄子大いに之を義とし、乃ち使をして衣を持ちて豫譲に与へしむ。豫譲剣を抜きて三たび躍りて之を撃ち、
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史記 季布欒布列伝斉に使ひし、未だ還らざるに、漢彭越を召し、責むるに謀反を以てし、三族を夷す。已にして彭越の頭を雒陽の下に梟し、詔して曰く「敢へて収め視る者有らば、輒ち之を捕へよ」と。布斉より還り、事を彭越の頭の下に奏し、祠りて之を哭す。吏布を捕へて以聞す。上布を召し、罵りて曰く「若彭越と反するか。吾人を禁じて収むる勿からしむるに、若独り祠りて之を哭す、越と反すること明らかなり。趣やかに之を亨よ」と。方に提げて湯に趣くに、布顧みて曰く「願はくは一言して死せん」と。上曰く「何をか言はん」と。布曰く「方に上の彭城に困しみ、滎陽・成皋の間に敗るるに、項王の遂に西する能はざる所以は、徒だ彭王梁の地に居り、漢と合従して楚を苦しむるを以てなり。是の時に当たり、彭王一たび顧みて、楚に与せば則ち漢破れ、漢に与せば楚破れん。且つ垓下の会、彭王微かりせば、項氏亡びず。天下已に定まり、彭王符を剖き封を受く、亦た之を万世に伝へんと欲す。今陛下一たび兵を梁に徴し、彭王病みて行かず、而るに陛下疑ひて以て反と為す、反の形未だ見えざるに、苛小の案を以て之を誅滅す、臣恐らくは功臣人人自ら危ぶまん。今彭王已に死す、臣生くるは死するに如かず、請ふ亨に就かん」と。是に於て上乃ち布の罪を釈し、拝して都尉と為す。孝文の時、燕の相と為り、将軍に至る。布乃ち称して曰く「窮困して身を辱め志を下す能はざるは、人に非ず。富貴にして意を快くする能はざるは、賢に非ず」と。是に於て嘗て徳有る者には厚く之に報い、怨み有る者には必ず法を以て之を滅す。呉・楚反せし時、軍功を以て兪侯に封ぜられ、復た燕の相と為る。燕・斉の間皆欒布の為に社を立て、欒公社と号す。景帝中五年薨ず。子賁嗣ぎ、太常と為り、犠牲令の如くならず、国除かる。太史公曰く、項羽の気を以てして、季布勇を以て楚に顕はれ、身ら軍を屨みて旗を搴ること数々なり、壮士と謂ふべし。然れども刑戮を被り、人の奴と為りて死せざるに至るは、何ぞ其の下れるや。
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『春秋左氏伝』昭公二十年 宗魯、死を公孟に帰す衛の公孟縶齊豹を狎(かろ)んじ、之が司寇と鄄とを奪ふ。役有れば則ち之を反し、無ければ則ち之を取る。公孟北宮喜・褚師圃を惡み、之を去らんと欲す。公子朝襄夫人宣姜に通じ、懼れて以て亂を作さんと欲す。故に齊豹・北宮喜・褚師圃・公子朝、亂を作す。初め、齊豹宗魯を公孟に見えしめ、驂乘と為す。將に亂を作さんとして、之に謂ひて曰く、「公孟の不善なるは、子の知る所なり。與に乘ること勿かれ。吾將に之を殺さんとす」と。對へて曰く、「吾子に由りて公孟に事ふ。子吾に名を假す。故に吾を遠ざけず。其の不善なりと雖も、吾も亦た之を知る。抑も利の故を以て、去る能はず。是れ吾が過ちなり。今難を聞きて逃るるは、是れ子を僭(いつは)るなり。子事を行へ。吾將に之に死し、以て子に事ふることを周くし、而して死を公孟に歸さん。其れ可ならん」と。丙辰、衛侯平壽に在り。公孟蓋獲の門の外に事有り。齊子氏門の外に帷して、甲を伏す。
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