秘本玉くしげ / 上 一揆は上の非
抑、此事の起るを考るに、後にいづれも下の非はなくして、皆上の非なるより起れり。今の世、百姓町人の心もあしくなりたりとはいへども、よくよく堪がたきにいたらざれば、此事はおこるものにあらず。たとひ起さんと思ふ者ありとても、村村一致することはかたく、又悪黨者ありてこれをすすめありきても、かやうの事を一同にひそかに申合す事はもれやすきものなれば、中中大抵の事にては一致はしがたかるべし。然るに近年、此事の所所に多きは、他國の例を聞ていよいよ百姓の心も動き、又役人の取はからひもいよいよ非なること多く、困窮も甚しきが故に、一致しやすきなるべし。然れ共また、近來世上に此事多きに付ては、何れの國も上にもつねづねその心がけおこたらず、起しがたきやうのかねての防ぎもあることなれば、下はいよいよ一致しがたく、起しがたき道理也。上のかねての防ぎは、隱すべき事にあらざればいかやうにも議しやすく、表向にてとりはからふ事なれば行ひやすく、またたとひ下へ隱してはからふ事も、上はもとより一致なればいかやうにもなる事なるに、下のかやうの事を起さんとするは、上へ隱して至て密密に談合すべき事にて、殊に世間ひろければ、かならず中途にて漏れ顯はるべき道理なるに、近年たやすく一致し固まりて、此事の起りやすきは、畢竟これ人爲にはあらず。上たる人、深く遠慮をめぐらさるべきなり。然りとて、いかほど起らぬやうのかねての防ぎ工夫をなす共、末を防ぐばかりにては止がたかるべし。とかく、その因て起る本を直さずばあるべからず。その本を直すといふは、非理のはからひをやめて民をいたはる是也。
新字:抑、此事の起るを考るに、後にいづれも下の非はなくして、皆上の非なるより起れり。今の世、百姓町人の心もあしくなりたりとはいへども、よくよく堪がたきにいたらざれば、此事はおこるものにあらず。たとひ起さんと思ふ者ありとても、村村一致することはかたく、又悪党者ありてこれをすすめありきても、かやうの事を一同にひそかに申合す事はもれやすきものなれば、中中大抵の事にては一致はしがたかるべし。然るに近年、此事の所所に多きは、他国の例を聞ていよいよ百姓の心も動き、又役人の取はからひもいよいよ非なること多く、困窮も甚しきが故に、一致しやすきなるべし。然れ共また、近来世上に此事多きに付ては、何れの国も上にもつねづねその心がけおこたらず、起しがたきやうのかねての防ぎもあることなれば、下はいよいよ一致しがたく、起しがたき道理也。上のかねての防ぎは、隠すべき事にあらざればいかやうにも議しやすく、表向にてとりはからふ事なれば行ひやすく、またたとひ下へ隠してはからふ事も、上はもとより一致なればいかやうにもなる事なるに、下のかやうの事を起さんとするは、上へ隠して至て密密に談合すべき事にて、殊に世間ひろければ、かならず中途にて漏れ顕はるべき道理なるに、近年たやすく一致し固まりて、此事の起りやすきは、畢竟これ人為にはあらず。上たる人、深く遠慮をめぐらさるべきなり。然りとて、いかほど起らぬやうのかねての防ぎ工夫をなす共、末を防ぐばかりにては止がたかるべし。とかく、その因て起る本を直さずばあるべからず。その本を直すといふは、非理のはからひをやめて民をいたはる是也。
書き下し
抑、此事の起るを考るに、後にいづれも下の非はなくして、皆上の非なるより起れり。今の世、百姓町人の心もあしくなりたりとはいへども、よくよく堪がたきにいたらざれば、此事はおこるものにあらず。たとひ起さんと思ふ者ありとても、村村一致することはかたく、又悪党者ありてこれをすすめありきても、かやうの事を一同にひそかに申合す事はもれやすきものなれば、中中大抵の事にては一致はしがたかるべし。然るに近年、此事の所所に多きは、他国の例を聞ていよいよ百姓の心も動き、又役人の取はからひもいよいよ非なること多く、困窮も甚しきが故に、一致しやすきなるべし。然れ共また、近来世上に此事多きに付ては、何れの国も上にもつねづねその心がけおこたらず、起しがたきやうのかねての防ぎもあることなれば、下はいよいよ一致しがたく、起しがたき道理也。上のかねての防ぎは、隠すべき事にあらざればいかやうにも議しやすく、表向にてとりはからふ事なれば行ひやすく、またたとひ下へ隠してはからふ事も、上はもとより一致なればいかやうにもなる事なるに、下のかやうの事を起さんとするは、上へ隠して至て密密に談合すべき事にて、殊に世間ひろければ、かならず中途にて漏れ顕はるべき道理なるに、近年たやすく一致し固まりて、此事の起りやすきは、畢竟これ人為にはあらず。上たる人、深く遠慮をめぐらさるべきなり。然りとて、いかほど起らぬやうのかねての防ぎ工夫をなす共、末を防ぐばかりにては止がたかるべし。とかく、その因て起る本を直さずばあるべからず。その本を直すといふは、非理のはからひをやめて民をいたはる是也。
現代語訳
そもそも、この騒動が起こるのを考えると、後になってみればいずれも下の非はなく、みな上の非から起こっている。今の世は百姓町人の心も悪くなったとはいえ、よくよく堪えがたいところに至らなければ、こうしたことは起こるものではない。たとえ起こそうと思う者があっても、村々が一致することは難しく、また悪党がいてこれを勧めて回っても、こうしたことを一同でひそかに申し合わせることは漏れやすいものだから、なかなか大抵のことでは一致しがたいはずだ。それなのに近年、これが所々に多いのは、他国の例を聞いていよいよ百姓の心も動き、また役人の取り計らいもいよいよ非道なことが多く、困窮も甚だしいから、一致しやすいのだろう。しかしまた、近ごろ世に多いことについては、どの国でも上は常に心がけを怠らず、起こしにくくする備えもあるのだから、下はいよいよ一致しがたく、起こしにくい道理である。上の備えは隠す必要がないからどうとでも相談しやすく、表向きに取り計らうことだから行いやすい。たとえ下に隠してはかることも、上はもともと一致しているのだからどうとでもなる。それに対して下がこうしたことを起こそうとするのは、上に隠してきわめて密かに談合すべきことで、まして世間は広いのだから、必ず途中で漏れて現れるはずの道理である。それなのに近年たやすく一致し固まって、これが起こりやすいのは、つまるところ人の仕業ではない。上に立つ人は、深く遠慮をめぐらすべきである。とはいえ、どれほど起こらないようにあらかじめ備えて工夫しても、末を防ぐだけでは止めがたいだろう。とにかく、その起こるもとを直さなければならない。そのもとを直すというのは、道理に外れた取り計らいをやめて民をいたわる、これである。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『秘本玉くしげ』上 恥辱と思わぬ上たとひいかほど困窮はしても、上のはからひだによろしければ、此事は起るものにあらず。然るに近年は、ここにもかしこにも多きによりて、めづらしからぬ事になりて、まづ一旦静まればよき事にして、さのみ跡の吟味もくはしからず、張本人を一両人とらへて定まりのとほり刑に行へば、そのむきにて、跡の上の取計らひをたしなみ改むる事もせず、世間に例多ければ、さのみ恥辱とも思はれぬやうの所もありとぞ。
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『秘本玉くしげ』上 厳しくすればまづ下は、高が百姓町人の事にて、その願ふ所を聞とどけだにすれば宜しく、又たとひ真坂に及びても、武具などもそろはず、戦の法などもしらぬ者なれば、畢竟は恐るるにはたらぬ事のやうなれども、もし上より用捨なくきびしくこれをふせがば、下よりもまたいよいよ用捨なく、身命をすててかかる事もあらん。其時、たとひ武士一人は百姓町人の三人五人づつに当るほどの働きありとも、つひに多勢に及びがたからん事もはかりがたく、又たとひいかやうの計略をめぐらして十分勝をとる共、敵とするところみな自分の民なれば、一人にてもそこなふときは、畢竟は自分の損也。又、手にあまれるとき、近国などより加勢ありて人数を出されては、たとひ早速静まりても、いよいよ耻辱の至り也。但しさしあたりては、手ごはきときはやむ事を得ず、少少人を損じてなりとも、まづ早く静むるやうにはからはん事、もとより然るべき事也。又、後来を恐れしめんためにも、一旦は武威を以てきびしく押へ静むるも権道也。然れども、始終は武威ばかりにては押へがたし。此方よりきびしくあしらふは、以後又かの方よりも、いよいよきびしくかかれと教ふるやうの道理なれば也。然れば此事は、とにかくにその因て起る本をつつしむ事肝要たるべし。
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『秘本玉くしげ』上 役人も重く罰すさればたとひいささかの事にもせよ、此すぢあらば、その起るところの本を委細によくよく吟味して是非をただし、下の非あらば、その張本のともがらをおもく刑し玉ふべきは勿論の事、又上に非あらば、その非を行へる役人を重く罰し玉ふべき也。
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『秘本玉くしげ』上 上の恵みさて今の世には、百姓の方にも年貢のすぢに正直ならざることをかまへて、これを免れんとする者もあることなれ共、それも畢竟は、上よりのいたはりなく、あしらひの悪さに、下よりも左様のかまへをばする也。上の御めぐみだに行とどけば、下は速に感じ奉るものぞかし。
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『秘本玉くしげ』下 上下は遠ししかれ共、上と下とは甚遠ければ、その吟味もとかくに行とどきかぬる事なれば、
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『秘本玉くしげ』上 源を濁して流れをこれに因て法度を立て、百姓の兄弟子共などを外へ出す事を厳しく禁ぜらる国国もあれども、それは源を濁して流れの末を清くせんとするが如くなる物なる故に、その禁制もとかくに立がたく、又今の世はただ当座の事をのみはかりて始終の所を考へざるならひなれば、さしあたりてまづ其年の上納だにととのへば宜しき事にして、百姓の痛むをばかへり見ず、百姓いためばゆくゆく上の大なる御損失なることをも思はず、漸漸に農民のおとろへゆく事は、かへすがへすも歎かはしきことの至りなり。さて二つに、百姓の身分は右のごとくくつろぎなきうへに、又町人などの世のおごりを見ならひて、おのづからおごりもつきたる故に、いよいよ困窮甚しき也。尤町人の奢りにくらぶれば、百姓のおごりは何ほどの事にもあらざれ共、地体くつろぎなきうへなれば、いささかの事にても痛みにはなる也。困窮の百姓の身分にて奢などいふほどの事はとてもならぬことなれ共、世上につれて覚えずしらずおごりの付たる事多し。
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