秘本玉くしげ / 上 儒者かたぎ
さて又、少少學問にたづさはる人の料簡は、多くはただ四書五經など經書の趣を以て今日の政事に施さむとす。これは根本の所には近けれども、經書の趣ばかりにては、時世のもやう、國所の風儀、古今の變化などにうとき故に、今日の政務にはまことに迂遠にして、却て世俗の料簡にもおとる事もあるもの也。然れ共、惣体はかの當座の利益にのみはしる俗吏の料簡よりははるかにまさるべし。又、一等學問に深く身を入て、經書のみならず歴史諸子などをも取あつかひ、その意味をも思ひ、古今にひろくわたりて何事もよく辨へ、經濟の筋をもよく呑込たる人の料簡は、本をも末をもよく照し考へること故、誠にあつはれと聞えて、俗人の及びがたき事多し。なほ又、世にしられたるほどの學者の經濟の心がけあるは、いよいよ學問も厚く廣ければ猶さら宜しきことは多き也。然れども又、いかほど學問よく、經濟の筋にも鍛煉し、當世の事情にも通達したるも、とかくに儒者は儒者かたぎの一種の料簡ありて、議論のうへの理屈は至極尤に聞えても、現にこれを政事に用ひては、思ひの外によろしからざる事もおほくして、却て害ある事もある也。
新字:さて又、少少学問にたづさはる人の料簡は、多くはただ四書五経など経書の趣を以て今日の政事に施さむとす。これは根本の所には近けれども、経書の趣ばかりにては、時世のもやう、国所の風儀、古今の変化などにうとき故に、今日の政務にはまことに迂遠にして、却て世俗の料簡にもおとる事もあるもの也。然れ共、惣体はかの当座の利益にのみはしる俗吏の料簡よりははるかにまさるべし。又、一等学問に深く身を入て、経書のみならず歴史諸子などをも取あつかひ、その意味をも思ひ、古今にひろくわたりて何事もよく弁へ、経済の筋をもよく呑込たる人の料簡は、本をも末をもよく照し考へること故、誠にあつはれと聞えて、俗人の及びがたき事多し。なほ又、世にしられたるほどの学者の経済の心がけあるは、いよいよ学問も厚く広ければ猶さら宜しきことは多き也。然れども又、いかほど学問よく、経済の筋にも鍛煉し、当世の事情にも通達したるも、とかくに儒者は儒者かたぎの一種の料簡ありて、議論のうへの理屈は至極尤に聞えても、現にこれを政事に用ひては、思ひの外によろしからざる事もおほくして、却て害ある事もある也。
書き下し
さて又、少少学問にたづさはる人の料簡は、多くはただ四書五経など経書の趣を以て今日の政事に施さむとす。これは根本の所には近けれども、経書の趣ばかりにては、時世のもやう、国所の風儀、古今の変化などにうとき故に、今日の政務にはまことに迂遠にして、却て世俗の料簡にもおとる事もあるもの也。然れ共、惣体はかの当座の利益にのみはしる俗吏の料簡よりははるかにまさるべし。又、一等学問に深く身を入て、経書のみならず歴史諸子などをも取あつかひ、その意味をも思ひ、古今にひろくわたりて何事もよく弁へ、経済の筋をもよく呑込たる人の料簡は、本をも末をもよく照し考へること故、誠にあつはれと聞えて、俗人の及びがたき事多し。なほ又、世にしられたるほどの学者の経済の心がけあるは、いよいよ学問も厚く広ければ猶さら宜しきことは多き也。然れども又、いかほど学問よく、経済の筋にも鍛煉し、当世の事情にも通達したるも、とかくに儒者は儒者かたぎの一種の料簡ありて、議論のうへの理屈は至極尤に聞えても、現にこれを政事に用ひては、思ひの外によろしからざる事もおほくして、却て害ある事もある也。
現代語訳
さてまた、少しばかり学問にたずさわる人の判断は、多くはただ四書五経など経書の趣旨によって今日の政治に施そうとする。これは根本に近いけれども、経書の趣旨だけでは、時代の様相、土地ごとの風習、古今の変化などに疎いから、今日の政務にはまことに迂遠で、かえって世俗の判断にも劣ることがある。とはいえ、全体としては、目先の利益ばかりに走る役人の判断よりははるかにまさるだろう。また、一段と学問に深く身を入れて、経書だけでなく歴史や諸子なども扱い、その意味も考え、古今に広くわたって何事もよくわきまえ、経済の筋もよく呑みこんだ人の判断は、根本も末端もよく照らし考えるから、まことに見事と聞こえて、俗人の及ばないことが多い。さらに、世に知られたほどの学者で経済の心がけがある者は、学問も厚く広いのだから、なおさらよいことが多い。しかしまた、どれほど学問がよく、経済の筋にも鍛えられ、当世の事情にも通じていても、とかく儒者には儒者気質という一種の判断の癖があって、議論の上の理屈はまことにもっともに聞こえても、実際にこれを政治に用いると、思いのほかよくないことも多く、かえって害があることもある。