呉子 / 論将篇
吳子曰:「夫鼙鼓金鐸,所以威耳。旌旗麾幟,所以威目。禁令刑罰,所以威心。耳威於聲,不可不清。目威於色,不可不明。心威於刑,不可不嚴。三者不立,雖有其國,必敗於敵。故曰:將之所麾,莫不從移;將之所指,莫不前死。」
新字:呉子曰:「夫鼙鼓金鐸,所以威耳。旌旗麾幟,所以威目。禁令刑罰,所以威心。耳威於声,不可不清。目威於色,不可不明。心威於刑,不可不厳。三者不立,雖有其国,必敗於敵。故曰:将之所麾,莫不従移;将之所指,莫不前死。」
書き下し
呉子曰く、夫れ鼙鼓金鐸は、耳を威す所以なり。旌旗麾幟は、目を威す所以なり。禁令刑罰は、心を威す所以なり。耳は声に威さる、清からざるべからず。目は色に威さる、明らかならざるべからず。心は刑に威さる、厳ならざるべからず。三つの者立たざれば、其の国有りと雖も、必ず敵に敗る。故に曰く、将の麾く所、従い移らざるは莫く、将の指す所、前んで死せざるは莫し、と。
現代語訳
呉子は言う。太鼓や鉦や鈴は、耳に働きかけて全軍を動かすためのものである。旗やのぼりや指揮旗は、目に働きかけるためのものである。禁令や刑罰は、心に働きかけるためのものである。耳は音によって統べられるのだから、その音は澄んで聞き取りやすくなければならない。目は色によって統べられるのだから、その色ははっきりと見分けられなければならない。心は刑罰によって統べられるのだから、それは厳正でなければならない。この三つが立っていなければ、たとえ国を保っていても必ず敵に敗れる。だからこう言うのだ。将が指揮旗を振れば、従って動かない者はなく、将が指し示せば、進み出て命を懸けない者はいない、と。
解説
この章句が説くこと
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『春秋左氏伝』襄公二十一年 上の為す所は民の帰なり二十一年春、公晉に如きて師を拜し、及び邾の田を取るを拜するなり。邾の庶其漆・閭丘を以って來奔す。季武子公の姑姊を以って之に妻はせ、皆其の從者に賜有り。是に於いて魯に盜多し。季孫臧武仲に謂ひて曰く、「子盍ぞ盜を詰めざる」と。武仲曰く、「詰むべからざるなり。紇も又能はず」と。季孫曰く、「我に四封有りて、其の盜を詰む。何の故に可ならざる。子は司寇為り。將に盜を是れ務めて去らんとす。之を若何ぞ能はざらん」と。武仲曰く、「子外盜を召して大いに之に禮す。何を以ってか吾が盜を止めん。子は正卿為りて、外盜を來たす。紇をして之を去らしむるも、將た何を以ってか能くせん。庶其は邑を邾に竊みて以って來る。子姬氏を以って之に妻はせて、之に邑を與へ、其の從者も皆賜有り。若し大盜には之に禮するに、君の姑姊と其の大邑とを以ってし、其の次は皁牧輿馬、其の小なる者は衣裳劍帶ならば、是れ盜を賞するなり。賞して之を去る、其れ或いは難からん。紇や之を聞く、上位に在る者は其の心を洒濯し、壹にして以って人を待ち、其の信を軌度して、明らかに徵すべくして、而る後に以って人を治むべしと。夫れ上の為す所は、民の歸なり。上の為さざる所にして、民或いは之を為す。是を以って刑罰を加へて、敢へて懲りざる莫し。若し上の為す所にして民も亦た之を為すは、乃ち其の所なり。又禁ずべけんや。夏書に曰く、『茲を念ふも茲に在り、茲を釋くも茲に在り、名言するも茲に在り、允に出だすも茲に在り。惟れ帝功を念ふ』と。將に己に由りて壹なるを謂ふなり。信、己に由りて壹にして、而る後に功念ふべきなり」と。庶其は卿に非ざるなり。地を以って來る。賤しと雖も必ず書す。地を重んずるなり。
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論語・衛霊公篇子曰わく、身をもって厚くし、人を責むること薄ければ、すなわち怨み遠し。
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