呉子 / 治兵篇
吳子曰:「夫人當死其所不能,敗其所不便。故用兵之法,教戒為先。一人學戰,教成十人。十人學戰,教成百人。百人學戰,教成千人。千人學戰,教成萬人。萬人學戰,教成三軍。以近待遠,以佚待勞,以飽待飢。圓而方之,坐而起之,行而止之,左而右之,前而後之,分而合之,結而解之。每變皆習,乃授其兵。是謂將事。」
新字:呉子曰:「夫人当死其所不能,敗其所不便。故用兵之法,教戒為先。一人学戦,教成十人。十人学戦,教成百人。百人学戦,教成千人。千人学戦,教成万人。万人学戦,教成三軍。以近待遠,以佚待労,以飽待飢。円而方之,坐而起之,行而止之,左而右之,前而後之,分而合之,結而解之。毎変皆習,乃授其兵。是謂将事。」
書き下し
呉子曰く、「夫れ人は其の能わざる所に死し、其の便ならざる所に敗る。故に用兵の法は、教戒を先と為す。一人戦いを学べば、教えて十人を成す。十人戦いを学べば、教えて百人を成す。百人戦いを学べば、教えて千人を成す。千人戦いを学べば、教えて万人を成す。万人戦いを学べば、教えて三軍を成す。近きを以て遠きを待ち、佚を以て労を待ち、飽を以て飢を待つ。円にして之を方にし、坐して之を起たしめ、行きて之を止め、左にして之を右にし、前にして之を後にし、分かちて之を合わせ、結びて之を解く。変ごとに皆な習わば、乃ち其の兵を授く。是を将の事と謂う」と。
現代語訳
呉子は言った。「人は、できないことによって死に、慣れていないことによって敗れる。だから用兵の法は、教え戒めることを第一とする。一人が戦いを学べば、その者が十人を教え成す。十人が学べば百人を教え成す。百人が学べば千人を教え成す。千人が学べば万人を教え成す。万人が学べば全軍を教え成す。近くにいて遠来の敵を待ち、休息した状態で疲れた敵を待ち、腹を満たして飢えた敵を待つ。円陣を方陣に変え、座らせては立たせ、進ませては止め、左に向かわせては右に向かわせ、前に出しては後ろに下げ、分けては合わせ、結んでは解く。あらゆる変化をすべて習熟させてから、はじめて武器を与える。これを将の務めと言う」。
解説
この章句が説くこと
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『春秋左氏伝』襄公二十一年 上の為す所は民の帰なり二十一年春、公晉に如きて師を拜し、及び邾の田を取るを拜するなり。邾の庶其漆・閭丘を以って來奔す。季武子公の姑姊を以って之に妻はせ、皆其の從者に賜有り。是に於いて魯に盜多し。季孫臧武仲に謂ひて曰く、「子盍ぞ盜を詰めざる」と。武仲曰く、「詰むべからざるなり。紇も又能はず」と。季孫曰く、「我に四封有りて、其の盜を詰む。何の故に可ならざる。子は司寇為り。將に盜を是れ務めて去らんとす。之を若何ぞ能はざらん」と。武仲曰く、「子外盜を召して大いに之に禮す。何を以ってか吾が盜を止めん。子は正卿為りて、外盜を來たす。紇をして之を去らしむるも、將た何を以ってか能くせん。庶其は邑を邾に竊みて以って來る。子姬氏を以って之に妻はせて、之に邑を與へ、其の從者も皆賜有り。若し大盜には之に禮するに、君の姑姊と其の大邑とを以ってし、其の次は皁牧輿馬、其の小なる者は衣裳劍帶ならば、是れ盜を賞するなり。賞して之を去る、其れ或いは難からん。紇や之を聞く、上位に在る者は其の心を洒濯し、壹にして以って人を待ち、其の信を軌度して、明らかに徵すべくして、而る後に以って人を治むべしと。夫れ上の為す所は、民の歸なり。上の為さざる所にして、民或いは之を為す。是を以って刑罰を加へて、敢へて懲りざる莫し。若し上の為す所にして民も亦た之を為すは、乃ち其の所なり。又禁ずべけんや。夏書に曰く、『茲を念ふも茲に在り、茲を釋くも茲に在り、名言するも茲に在り、允に出だすも茲に在り。惟れ帝功を念ふ』と。將に己に由りて壹なるを謂ふなり。信、己に由りて壹にして、而る後に功念ふべきなり」と。庶其は卿に非ざるなり。地を以って來る。賤しと雖も必ず書す。地を重んずるなり。
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論語・衛霊公篇子曰わく、身をもって厚くし、人を責むること薄ければ、すなわち怨み遠し。
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説苑・善說魏の文侯大夫と酒を飲み、公乘不仁をして觴政と爲さしめて曰く、「飲みて釂さざる者は大白を以て浮せ。」文侯飲みて釂を盡くさず。公乘不仁擧げて君を浮すと曰う。君視て應えず。侍者曰く、「不仁退け、君已に醉えり。」公乘不仁曰く、「周書に曰く、『前車覆り、後車戒む。』蓋し其の危きを言うなり。人臣爲ること易からず、君爲ること亦た易からず。今君已に令を設くるに、令行われずんば可ならんや。」君曰く、「善し。」白を擧げて飲み、飲み畢りて曰く、「公勝不仁を以て上客と爲さん。」
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