呉子 / 料敵篇
武侯問敵必可擊之道。起對曰:「用兵必須審敵虛實而趨其危。敵人遠來新至、行列未定可擊,既食未設備可擊,奔走可擊,勤勞可擊,未得地利可擊,失時不從可擊,旌旗亂動可擊,涉長道後行未息可擊,涉水半渡可擊,險道狹路可擊,陳數移動可擊,將離士卒可擊,心怖可擊。凡若此者,選銳衝之,分兵繼之,急擊勿疑。」
新字:武侯問敵必可撃之道。起対曰:「用兵必須審敵虚実而趨其危。敵人遠来新至、行列未定可撃,既食未設備可撃,奔走可撃,勤労可撃,未得地利可撃,失時不従可撃,旌旗乱動可撃,渉長道後行未息可撃,渉水半渡可撃,険道狭路可撃,陳数移動可撃,将離士卒可撃,心怖可撃。凡若此者,選鋭衝之,分兵継之,急撃勿疑。」
書き下し
武侯、敵の必ず撃つべきの道を問う。起対えて曰く、「兵を用うるには必ず須らく敵の虚実を審らかにして其の危うきに趨くべし。敵人、遠く来たりて新たに至り、行列未だ定まらざるは撃つべし。既に食らいて未だ備えを設けざるは撃つべし。奔り走るは撃つべし。勤め労するは撃つべし。未だ地の利を得ざるは撃つべし。時を失いて従わざるは撃つべし。旌旗乱れ動くは撃つべし。長道を渉り後に行きて未だ息わざるは撃つべし。水を渉り半ば渡るは撃つべし。険道狭路なるは撃つべし。陳、数しば移り動くは撃つべし。将、士卒を離るるは撃つべし。心怖るるは撃つべし。凡そ此くのごとき者は、鋭を選びて之を衝き、兵を分かちて之に継ぎ、急ぎ撃ちて疑うこと勿かれ」と。
現代語訳
武侯が、敵を必ず撃つべき機会について尋ねた。呉起は答えた。「軍を用いるには、必ず敵の虚と実を見極め、その弱っているところを突かねばなりません。敵が遠くから来たばかりで、隊列がまだ定まっていないときは撃ってよい。食事を終えてまだ備えを設けていないときは撃ってよい。逃げ走っているときは撃ってよい。疲れ切っているときは撃ってよい。地の利を得ていないときは撃ってよい。時機を逃して順応できていないときは撃ってよい。旗印が乱れ動いているときは撃ってよい。長い道のりを渡って遅れて到着し、まだ休めていないときは撃ってよい。川を渡って半ばまで来たときは撃ってよい。険しい道や狭い道にあるときは撃ってよい。陣がしきりに動いて定まらないときは撃ってよい。将が兵から離れているときは撃ってよい。心が怯えているときは撃ってよい。こうした場合は、精鋭を選んで突撃させ、兵を分けて後に続かせ、ためらわず急いで撃つがよい」。
解説
この章句が説くこと
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孫子・虚実篇故に前に備うれば則ち後寡なく、後に備うれば則ち前寡なし。左に備うれば則ち右寡なく、右に備うれば則ち左寡なし。備えざる所無ければ、則ち寡なからざる所無し。寡なき者は人に備うる者なり、衆き者は人をして己に備えしむる者なり。
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孫子・虚実篇その趨かざる所に出で、その意わざる所に趨く。
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『春秋左氏伝』定公八年 陽虎、宝玉大弓を取る之に違へば死を徵す。死すとも主に益無し」と。桓子曰く、「何の後るることか之有らん。而、能く我を以て孟氏に適かんか」と。對へて曰く、「敢へて死を愛まず。主を免れしめざらんことを懼る」と。桓子曰く、「往け」と。孟氏、圉人の壯なる者三百人を選び、以て公期の為に室を門外に築かしむ。林楚、馬を怒らせ、衢に及びて騁す。陽越、之を射て中らず。築く者、門を闔づ。門の間より陽越を射る有りて、之を殺す。陽虎、公と武叔とを劫かして以て孟氏を伐つ。公斂處父、成人を帥ゐ、上東門より入りて陽氏と南門の內に戰ふ。勝たず。又棘下に戰ふ。陽氏敗る。陽氏、甲を說きて公宮に如き、寶玉・大弓を取りて以て出で、五父の衢に舍る。寢ねて食を為る。其の徒曰く、「追ふもの其れ將に至らんとす」と。虎曰く、「魯人、余の出づるを聞かば、死を徵すを喜ばん。何の暇ありてか余を追はん」と。從者曰く、「嘻、速かに駕せよ。公斂陽在り」と。公斂陽、之を追はんことを請ふ。孟孫許さず。陽、桓子を殺さんと欲す。孟孫懼れて之を歸す。子言、辨く爵を季氏の廟に舍きて出づ。陽虎、讙・陽關に入りて以て叛く。鄭の駟歂、子大叔を嗣ぎて政を為す。
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『墨子』備城門城下の里中の家人、各おの葆すること亦た左右前後、城上の如くす。城小さく人衆ければ、鄉の老弱を葆離し、國中及び大城に也す。㓂至らば、必ず攻めんことを度り、主人、先ず城編を削る。唯だ燒くこと勿かれ。冦、城下に在らば、時に吏卒の署を換え、而も亦た養を換うる毋かれ。養は城に上るを得る毋かれ。宼、城下に在らば、諸盆罋を牧め、城下に耕積す。百步に一積、積は五百。城門の内、室有るを得ず。周官・桓吏を為り、四尺を倪と為す。行棧の内閈、二關一堞。城場の外を除き、池を去ること百步、墻垣樹木の小大、盡く壊し代え除去す。寇の從りて來たる所、若しくは昵道・傒近、若しくは城塲は、皆な扈樓を為る。竹箭を天中に立つ。守堂の下に大樓を為り、髙く城に臨む。堂下、周く散じ、道中、客に應ず。客、見ゆるを待つ。時に三老・左葆・官中の者を召し、與に事を計る。之を為すこと奈何と。子墨子曰く、穴士の守を問う。邪びに穴を備うる者は、城内に髙樓を為りて以て此の十四者を謹み具うれば、則ち民も亦た上を疑わず。然る後に城、守る可し。十四者、一も無くんば、則ち善き者と雖も守る能わざるなり。
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