呉子 / 図国篇
吳子曰:「昔之圖國家者,必先教百姓而親萬民。有四不和:不和於國,不可以出軍;不和於軍,不可以出陳;不和於陳,不可以進戰;不和於戰,不可以決勝。是以有道之主,將用其民,先和而造大事。不敢信其私謀,必告於祖廟,啟於元龜,參之天時,吉乃後舉。民知君之愛其命,惜其死,若此之至,而與之臨難,則士以盡死為榮,退生為辱矣。」
新字:呉子曰:「昔之図国家者,必先教百姓而親万民。有四不和:不和於国,不可以出軍;不和於軍,不可以出陳;不和於陳,不可以進戦;不和於戦,不可以決勝。是以有道之主,将用其民,先和而造大事。不敢信其私謀,必告於祖廟,啓於元亀,参之天時,吉乃後舉。民知君之愛其命,惜其死,若此之至,而与之臨難,則士以尽死為栄,退生為辱矣。」
書き下し
呉子曰く、「昔の国家を図る者は、必ず先ず百姓を教えて万民に親しむ。四つの不和有り。国に和せざれば、以て軍を出だすべからず。軍に和せざれば、以て陳を出だすべからず。陳に和せざれば、以て進みて戦うべからず。戦に和せざれば、以て勝を決すべからず。是を以て有道の主は、将に其の民を用いんとするや、先ず和して大事を造す。敢えて其の私謀を信ぜず、必ず祖廟に告げ、元亀に啓き、之を天時に参し、吉なれば乃ち後に挙ぐ。民、君の其の命を愛しみ、其の死を惜しむこと、此くのごとくに至れるを知りて、之と難に臨めば、則ち士は死を尽くすを以て栄と為し、退きて生くるを辱と為すなり」と。
現代語訳
呉子は言った。「昔、国家をよく治めた者は、必ずまず人々を教え導き、万民と親しんだ。和が失われる段階が四つある。国内が和していなければ軍を出してはならない。軍が和していなければ陣を布いてはならない。陣が和していなければ進んで戦ってはならない。戦いのなかで和していなければ勝敗を決しようとしてはならない。だから道を心得た君主は、民を動かそうとするとき、まず和を整えてから大事に着手する。自分の私的な思いつきを信じることはせず、必ず祖先の廟に告げ、亀卜で問い、天の時と照らし合わせ、吉と出て初めて事を起こす。民は、君主が自分たちの命を惜しみ、死を惜しんでくれることをここまで知ったうえで、君主とともに困難に臨むのである。そうなれば兵士は死力を尽くすことを名誉とし、退いて生き延びることを恥とするようになる」。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『学問のすゝめ』四編・学者の職分を論ず・これを散ずれば明なりこれを集むれば暗なり私にありては智なり、官にありては愚なり。これを散ずれば明なり、これを集むれば暗なり。政府は衆智者の集まるところにして、一愚人の事を行なうものと言うべし。あに怪しまざるを得んや。畢竟その然る所以は、かの気風なるものに制せられて、人々みずから一個の働きを逞しゅうすること能わざるによりて致すところならんか。維新以来、政府にて学術、法律、商売等の道を興さんとして効験なきも、その病の原因はけだしここにあるなり。しかるにいま一時の術を用いて下民を御し、その知徳の進むを待つとは、威をもって人を文明に強ゆるものか、しからざれば欺きて善に帰せしむるの策なるべし。政府威を用うれば人民は偽をもってこれに応ぜん、政府欺を用うれば人民は容を作りてこれに従わんのみ。これを上策と言うべからず。たといその策は巧みなるも、文明の事実に施して益なかるべし。ゆえにいわく、世の文明を進むるには、ただ政府の力のみに依頼すべからざるなり。
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史記 匈奴列伝東胡初め冒頓を軽んじ、備へを為さず。冒頓兵を以て至り、撃つに及びて、大いに東胡王を破滅し、而して其の民人及び畜産を虜にす。既に帰りて、西のかた月氏を撃ち走らせ、南のかた楼煩・白羊の河南王を并す。燕代を侵し、悉く復た秦の蒙恬をして匈奴より奪はしめし所の地を収め、漢と故の河南の塞を関とし、朝那・膚施に至り、遂に燕・代を侵す。是の時漢の兵項羽と相距ぎ、中国兵革に罷る。故を以て冒頓自ら彊くするを得、控弦の士三十余万。淳維より以て頭曼に至るまで千有余歳、時に大きく時に小さく、別散分離すること、尚し。其の世伝得て次すべからずと云ふ。然れども冒頓に至りて匈奴最も彊大にして、尽く北夷を服従せしめ、而して南のかた中国と敵国と為る。其の世伝国官の号乃ち得て記すべしと云ふ。左右の賢王、左右の谷蠡王、左右の大将、左右の大都尉、左右の大当戸、左右の骨都侯を置く。匈奴は賢を謂ひて「屠耆」と曰ふ。故に常に太子を以て左屠耆王と為す。左右の賢王より以下当戸に至るまで、大なる者は万騎、小なる者は数千、凡そ二十四長、号を立てて「万騎」と曰ふ。諸大臣は皆世官なり。呼衍氏、蘭氏、其の後に須卜氏有り。此の三姓は其の貴種なり。諸々の左方の王将は東方に居り、上谷に直りて以往なる者は、東のかた穢貉・朝鮮に接す。右方の王将は西方に居り、上郡に直りて以西は、月氏・氐・羌に接す。而して単于の庭は代・雲中に直る。各々分地有り、水草を逐ひて移徙す。而して左右の賢王・左右の谷蠡王最も大為り。左右の骨都侯政を輔く。諸々の二十四長も亦各々自ら千長・百長・什長・裨小王・相・封都尉・当戸・且渠の属を置く。歳の正月、諸長小しく単于の庭に会し、祠る。
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司馬法・定爵将は身なり、卒は支(し)なり、伍は指拇(しぼ)なり。
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『政談』官位爵祿の次第並に勳階頭助允目の事何役にも頭役添役下役留役と四段に立てゝ、或は軽き役には添役を除きて、三段にも立て、或は特の外に軽き役は添役下役を除きて一段にも立て置き、頭役は是非ともに一人にすれはその役のこと締り我々にならす、身に踏込みて勤めで叶はさることなり、添役は一人或は両人頭役に僅か一階ほと下にて、さのみは劣らぬものを申し付置く時は、相談の相手にも成り、又目付にもなり、又病気差合のときもこと欠けず、下役は添役に一階も下なる人を二人なりと三人四人なりとも役儀によりて五人六人も申し付け置く時は、其役儀のこと品を別けて掌とりて丁寧なり、留役は軽き役にて、一役のことを帳にかき留さすへし、されは頭役は惣〆くゝりとなりて重きことを掌り、又惣しめをするなり、下役は細かなるかと〳〵を品を別けて掌とる故、をの〳〵身にかけてつとめ身に入ること是れ古の法なり、
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『政談』江戶町中並に武家屋敷の締りの事総して武家屋敷も元来一組を一町に置たることなり、大御番十二組にて番町一番町より六番町まで各々表裏これあり、古は飯田町の上に土手これあるなり、御番衆に与力同心も元来一組一町にあつまり居たることなり、されども役ぬけ御番入り小ぶしん入りより混乱し、特に権威ある人屋敷をえり取りにする故此の法乱れ、今は同組所々に分れ居るやうになりたるなり、これによりて別御役別組の人となりと成り、武家の人から内証の事知るべきやうなし、一町の内のことは家内の微細なることまで何事も知れざることは悪しき事なり、微細に知るれども他役他組の人なれば、一屋敷の面々こうにて、武家ことのほかに我まゝになり、諸事とりしまりなく、埓もなくなりたること、これによりてなり、ことにかろき同心のたくひの一組のうちをひきわけて牛込本郷離れ〳〵にさし置くこと、そのもの平生何をするかも同組も知らぬことにて吟味すべきやうなし、願ふ所は古法の通り御番衆も与力同心も一くみを一所に置き、その頭をも一所に置き、役入り番入り等のとき入り替るやうにするときは、組下の人抦も何も委細に知るゝことにて、盗賊奉行などの下の悪事を知ぬやうなることは決してなきことなり、
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人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
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