言志四録 / 南洲手抄
以眞己克假己、天理也。以身我害心我、人欲也。
新字:以真己克仮己、天理也。以身我害心我、人欲也。
書き下し
真己を以て仮己に克つ、天理なり。身我を以て心我を害す、人欲なり。
現代語訳
真の自己によって仮の自己に打ち克つ、これが天の理(正しい道)である。肉体の自己によって心の自己を損なう、これが人の欲(私欲)である。
解説
十番の「真己・仮己」を、克己の指針として展開した一条です。本来の自己(真己・心我)で、欲や体面にとらわれた仮の自己(仮己・身我)に打ち克つ——これが天理にかなった生き方。逆に、肉体的な欲望(身我)に引きずられて本来の心(心我)を損なう——これが私欲に落ちた生き方です。同じ自分の中に、天理へ向かう自己と人欲へ落ちる自己が同居している。どちらが主導権を握るかで、生き方が分かれる。孔子の「克己」を、二つの自己のせめぎ合いとして描いたこの構図は、意志と欲望の葛藤に日々直面する私たちに、明快な自己統御の地図を与えてくれます。
この章句が説くこと
真己と仮己克己天理と人欲自己統御
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