言志四録 / 南洲手抄
愼獨工夫、當如身在稠人廣座中一般。應酬工夫、當如間居獨處時一般。
新字:慎独工夫、当如身在稠人広座中一般。応酬工夫、当如間居独処時一般。
書き下し
慎独の工夫は、当に身稠人広座の中に在るが如く一般なるべし。応酬の工夫は、当に間居独処の時の如く一般なるべし。
現代語訳
独りを慎む工夫(慎独)は、大勢の人が集まる広い座の真ん中にいるときのようであるべきだ。人と応対するときの工夫は、逆に、閑かに独りでいるときのようであるべきだ。
解説
「独りのとき」と「人前」の心の持ち方を、あえて逆転させて説いた一条です。誰も見ていない独りのときこそ、大勢の目の前にいるかのように身を慎め(慎独)。逆に、人と応対する慌ただしい場面では、独りで静かにいるときのように心を落ち着けよ、と。独居では緩み、人前では気負う——私たちの自然な傾向をちょうど裏返しています。人が見ていなくても律し、人前でも動じない。この二つが揃って初めて、心は一貫します。人目が偏在する現代に、見られる時と見られない時で態度を変えない誠実さを説く、鋭い一条です。
この章句が説くこと
慎独表裏一貫平常心自律
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