言志四録 / 南洲手抄
凡事有眞是非、有假是非。假是非、謂通俗之所可否。年少未學、而先了假是非、迨後欲得眞是非、亦不易入。所謂先入爲主、不可如何耳。
新字:凡事有真是非、有仮是非。仮是非、謂通俗之所可否。年少未学、而先了仮是非、迨後欲得真是非、亦不易入。所謂先入為主、不可如何耳。
書き下し
凡そ事に真是非有り、仮是非有り。仮是非とは、通俗の可否する所を謂ふ。年少く未だ学ばずして、先づ仮是非を了し、後に迨んで真是非を得んと欲するも、亦入り易からず。謂はゆる先入主と為り、如何ともす可らざるのみ。
現代語訳
すべての事には、本当の是非(真是非)と、かりそめの是非(仮是非)とがある。仮是非とは、世間並みの通念による善し悪しのことだ。若くて学ばないうちに、まず仮是非を身につけてしまうと、後になって本当の是非を得ようとしても、なかなか入っていけない。いわゆる先入観が主になってしまい、どうしようもないのである。
解説
若いうちに世間の通念(仮是非)が刷り込まれる怖さを説いた一条です。是非には、本物の道理に基づく「真是非」と、世間並みの通念にすぎない「仮是非」がある。学ばないうちに仮是非が先に入ると、それが先入観として居座り、後から本当の道理を学ぼうとしても入っていけない——「先入主となる」の弊です。九十五番の「少くして学ばざれば壮にして惑ふ」とも通じます。だからこそ早い時期に、通念を鵜呑みにせず本物の判断力を養うことが大切なのです。情報や通説が幼少期から刷り込まれる現代に、通念と真実を見分ける目の必要を説く一条です。
この章句が説くこと
真是非と仮是非先入観通念判断力
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