言志四録 / 南洲手抄
易是性字註脚。詩是情字註脚。書是心字註脚。
書き下し
易は是れ性の字の註脚なり。詩は是れ情の字の註脚なり。書は是れ心の字の註脚なり。
現代語訳
『易経』は「性」という一字の注釈である。『詩経』は「情」という一字の注釈である。『書経』は「心」という一字の注釈である。
解説
三つの経書の本質を、それぞれ一字に凝縮した鮮やかな一条です。変化の理法を説く『易経』は人の「性(本性)」を解き明かす注釈、詩歌を集めた『詩経』は人の「情(感情)」を映す注釈、政治の記録たる『書経』は人の「心(治める心)」を示す注釈だ、と。膨大な古典を、性・情・心というたった一字に要約してみせる手際に、一斎の読みの深さがうかがえます。大部の書物も、その核心を一語で言い当てられれば本当に理解したことになる。読書や学びで「要するに何か」を掴む力の大切さを、身をもって示す一条です。
この章句が説くこと
易詩書性情心要約古典
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言志四録・南洲手抄経を読むは、宜しく我れの心を以て経の心を読み、経の心を以て我の心を釈すべし。然らずして徒爾に訓詁を講明するのみならば、便ち是れ終身曾て読まざるなり。
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伝習録・徐愛録又た曰く、「『五経』も亦た只だ是れ史なり。史は以て善悪を明らかにし、訓戒を示す。善の訓と為すべき者は、時に其の跡を存して以て法を示す。悪の戒と為すべき者は、其の戒を存して其の事を削り、以て奸を杜(ふさ)ぐ」と。愛曰く、「其の跡を存して以て法を示すは、亦た是れ天理の本然を存するなり。其の事を削りて以て奸を杜ぐは、亦た是れ人欲を将(まさ)に萌さんとするに遏(とど)むるや否や」と。先生曰く、「聖人の経を作るは、固より是の意に非ざる無し。然れども又た必ずしも文句に泥著せず」と。愛又た問う、「悪の戒と為すべき者は、其の戒を存して其の事を削り以て奸を杜ぐと。何ぞ独り『詩』に於て鄭・衛を刪らざるや。先儒は『悪き者は以て人の逸志を懲創すべし』と謂う。然るや否や」と。先生曰く、「『詩』は孔門の旧本に非ざるなり。孔子云う、『鄭声を放て。鄭声は淫なり』と。又た曰く、『鄭声の雅楽を乱すを悪む』『鄭・衛の音は、亡国の音なり』と。此れは是れ孔門の家法なり。孔子の定むる所の三百篇は、皆な所謂る雅楽なり。皆な之を郊廟に奏すべく、之を郷党に奏すべし。皆な和平を宣暢し、徳性を涵泳し、風を移し俗を易うる所以なり。安くんぞ此れ有るを得んや。是れ淫を長じ奸を導くなり。此れ必ず秦火の後、世儒の附会して、以て三百篇の数を足すならん。蓋し淫泆の詞は、世俗多く伝うるを喜ぶ所なり。如今の閭巷も皆な然り。『悪き者は以て人の逸志を懲創すべし』とは、是れ其の説を求めて得ず、従いて之が辞を為すなり」と。
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