言志四録 / 南洲手抄
講論語、是慈父教子意思。講孟子、是伯兄誨季意思。講大學、如網在綱。講中庸、如雲出岫。
新字:講論語、是慈父教子意思。講孟子、是伯兄誨季意思。講大学、如網在綱。講中庸、如雲出岫。
書き下し
論語を講ず、是れ慈父の子を教ふる意思。孟子を講ず、是れ伯兄の季を誨ふる意思。大学を講ず、網の綱に在る如し。中庸を講ず、雲の岫を出づる如し。
現代語訳
『論語』を講じるのは、慈しみ深い父が子を教える趣がある。『孟子』を講じるのは、長兄が末弟を諭す趣がある。『大学』を講じるのは、網が大綱に結びついているように筋道が整然としている。『中庸』を講じるのは、雲が山の洞から湧き出るように奥深く尽きない。
解説
四書それぞれの味わいを、みごとな比喩で描き分けた一条です。『論語』は慈父が子を諭すような温かさ、『孟子』は長兄が弟を教えるような理の張った激しさ、『大学』は網が大綱に統べられるような整然とした体系性、『中庸』は雲が山峡から湧くような奥深い尽きなさ。同じ四書でも、それぞれ人格や表情が違うと一斎は言います。古典を無味乾燥な教科書としてではなく、それぞれ個性を持った生きた存在として味わう感性。この味わい分けを知れば、四書を読む楽しみが一段深まります。古典への愛情がにじむ、味わい深い一条です。
この章句が説くこと
四書論語孟子大学中庸古典の味わい
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