言志四録 / 南洲手抄
此學吾人一生負擔、當斃而後已。道固無窮、堯舜之上善無盡。孔子自志學、至七十、毎十年、自覺其有所進、孜孜自彊、不知老之將至。假使其踰耄至期、則其神明不測、想當爲何如哉。凡學孔子者、宜以孔子之志爲志。
新字:此学吾人一生負担、当斃而後已。道固無窮、堯舜之上善無尽。孔子自志学、至七十、毎十年、自覚其有所進、孜孜自彊、不知老之将至。仮使其踰耄至期、則其神明不測、想当為何如哉。凡学孔子者、宜以孔子之志為志。
書き下し
此の学は吾人一生の負担、当に斃れて後に已むべし。道固より窮り無し。堯舜の上、善尽くること無し。孔子学に志してより七十に至るまで、十年毎に自ら其の進む所有るを覚り、孜孜として自ら彊めて、老の将に至らんとするを知らず。仮し其をして耄を踰え期に至らしめば、則ち其の神明測られざること、想ふに当に何如たるべきぞや。凡そ孔子を学ぶ者は、宜しく孔子の志を以て志と為すべし。
現代語訳
この学問は、私たちが一生背負うべき荷であり、倒れて初めて終わるものだ。道にはもともと限りがなく、尭舜の上にもさらに究めるべき善は尽きない。孔子は学に志して七十歳に至るまで、十年ごとに自分の成長を自覚し、たゆまず励んで、老いが迫るのも気づかなかった。もし孔子が八十・百歳まで生きていたら、その神妙な境地はどれほどのものだったか、と想像される。およそ孔子を学ぶ者は、孔子の「志」そのものを自分の志とすべきである。
解説
学問を生涯かけて背負う荷ととらえ、その手本を孔子に見た一条です。道に終わりはなく、聖人の尭舜の上にも究めるべき善は尽きない。孔子は「十有五にして学に志し…七十にして…」と十年ごとに成長を重ね、老いも忘れて励み続けました。一斎はさらに、孔子がもっと長生きしていたらどんな境地に達したか、と想像さえします。そして結論は、孔子の到達点を真似るのではなく、孔子の「学び続ける志」そのものを己の志とせよ、と。八十を過ぎて筆を執り続けた一斎自身の姿と重なる、生涯学習の宣言です。
この章句が説くこと
生涯学習孔子の志道無窮自彊
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