言志四録 / 南洲手抄
不起妄念是敬。妄念不起是誠。
書き下し
妄念を起さざるは是れ敬なり。妄念起らざるは是れ誠なり。
現代語訳
妄念を(意識して)起こさないようにするのが「敬」である。妄念がそもそも(ひとりでに)起こらないのが「誠」である。
解説
「敬」と「誠」の違いを、妄念との関係で鮮やかに区別した一条です。わずかな言い回しの差——「起こさない」と「起こらない」——に、修養の深浅が凝縮されています。妄念を意識的に抑え、起こさないよう努めるのが「敬」の段階。修養がさらに進み、そもそも妄念がわいてこなくなった自然な状態が「誠」の段階です。努力して律する段階から、律する必要すらない境地へ。禅の修行にも通じるこの区別は、自制を続ける段階の先に、無理のない自然な境地があることを示します。今の自分がどちらの段階かを静かに問わせる言葉です。
この章句が説くこと
敬と誠妄念自制自然
関連する章句
-
言志四録・南洲手抄為す無くして為す有る之を誠と謂ふ。為す有つて為す無し之を敬と謂ふ。
-
言志四録・言志録 第百五十五条 敬は百邪に勝つ敬は能く妄念を截断す。昔人云ふ、「敬は百邪に勝つ」と。百邪の来るや、必ず妄念の之が先導を為す有り。
-
言志四録・言志後録 第二十二条 真敬と贋敬心に中和を存すれば、則ち体自ら安舒なり。即ち敬なり。故に心広く体胖かなるは、敬なり。徽柔懿恭は、敬なり。申申夭夭は、敬なり。彼の敬を視ること桎梏徽纏の若く然る者は、是れ贋敬にして、真敬に非ず。
-
言志四録・南洲手抄心無きに心有るは、工夫是なり。心有るに心無きは、本体是なり。
-
言志四録・言志耋録 第九十八条 敬は動静を一串す静坐中、接物の工夫を忘るること勿れ、即ち是れ敬なり。接物の時、静坐の意思を失ふこと勿れ、亦是れ敬なり。唯だ敬のみ動静を一串す。
-
言志四録・言志晩録 第二百二十七条 真孝は孝を忘る真孝は孝を忘る、念念是れ孝なり。真忠は忠を忘る、念念是れ忠なり。

人生を、一行の式にしてみた。
志×積×時×憤÷(1+執)+命。古典から導いた式『人生の方程式』と、二十四の悩みに古典が答える『人生の教科書』(PDF)、師導の全機能1か月がセットで700円です。
本の中身を見る