言志四録 / 南洲手抄
不起妄念是敬。妄念不起是誠。
書き下し
妄念を起さざるは是れ敬なり。妄念起らざるは是れ誠なり。
現代語訳
妄念を(意識して)起こさないようにするのが「敬」である。妄念がそもそも(ひとりでに)起こらないのが「誠」である。
解説
「敬」と「誠」の違いを、妄念との関係で鮮やかに区別した一条です。わずかな言い回しの差——「起こさない」と「起こらない」——に、修養の深浅が凝縮されています。妄念を意識的に抑え、起こさないよう努めるのが「敬」の段階。修養がさらに進み、そもそも妄念がわいてこなくなった自然な状態が「誠」の段階です。努力して律する段階から、律する必要すらない境地へ。禅の修行にも通じるこの区別は、自制を続ける段階の先に、無理のない自然な境地があることを示します。今の自分がどちらの段階かを静かに問わせる言葉です。
この章句が説くこと
敬と誠妄念自制自然
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