言志四録 / 南洲手抄
誘掖而導之、教之常也。警戒而喩之、教之時也。躬行以率之、教之本也。不言而化之、教之神也。抑而揚之、激而進之、教之權而變也。教亦多術矣。
新字:誘掖而導之、教之常也。警戒而喩之、教之時也。躬行以率之、教之本也。不言而化之、教之神也。抑而揚之、激而進之、教之権而変也。教亦多術矣。
書き下し
誘掖して之を導くは、教の常なり。警戒して之を喩すは、教の時なり。躬に行うて之を率きゐるは、教の本なり。言はずして之を化するは、教の神なり。抑へて之を揚げ、激して之を進ましむるは、教の権にして変なり。教も亦術多し。
現代語訳
助け導くのは教育の常道である。戒めさとすのは時に応じた教育である。自ら実践して率いるのは教育の根本である。言葉によらず感化するのは教育の神妙な境地である。抑えておいて引き上げ、刺激して奮い立たせるのは、臨機応変の教育である。教育にもさまざまな方法があるのだ。
解説
一斎が挙げる「教えの五つの型」です。誘い助けて導く常道、時宜に応じて戒めさとす、自ら実践して背中で率いる根本、言葉なしに感化する最高の境地、あえて抑えあえて刺激して奮起させる臨機応変。とりわけ「躬行以て率いる」を教育の本とし、「言わずして化す」を神妙の域とした点に、一斎の重心があります。教えるとは口で言うことではなく、まず自らが体現すること。多様な手法を挙げつつ、その根が指導者自身の在り方にあると説く、人を育てる立場の必読の一条です。
この章句が説くこと
教育躬行感化人を育てる