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易経 / 雑卦

《豐》,多故也。親寡《旅》也。《離》上而《坎》下也。《小畜》,寡也。《履》,不處也。《需》,不進也。《訟》,不親也。《大過》,顛也。《姤》,遇也,柔遇剛也。《漸》,女歸待男行也。《頤》,養正也。《既濟》,定也。《歸妹》,女之終也。《未濟》,男之窮也。《夬》,決也,剛決柔也。君子道長,小人道憂也。

新字:《豊》,多故也。親寡《旅》也。《離》上而《坎》下也。《小畜》,寡也。《履》,不処也。《需》,不進也。《訟》,不親也。《大過》,顛也。《姤》,遇也,柔遇剛也。《漸》,女歸待男行也。《頤》,養正也。《既済》,定也。《歸妹》,女之終也。《未済》,男之窮也。《夬》,決也,剛決柔也。君子道長,小人道憂也。

書き下し

豊は、故(こと)多きなり。親しむこと寡(すく)なきは旅なり。離は上りて坎(かん)は下るなり。小畜は、寡なきなり。履(り)は、処(お)らざるなり。需(じゅ)は、進まざるなり。訟(しょう)は、親しまざるなり。大過は、顛(たお)るるなり。姤(こう)は、遇うなり、柔剛に遇うなり。漸は、女の帰(とつ)ぐに男を待ちて行くなり。頤(い)は、正しきを養うなり。既済(きせい)は、定まるなり。帰妹は、女の終わりなり。未済(びせい)は、男の窮まりなり。夬(かい)は、決するなり、剛柔を決するなり。君子の道長じ、小人の道憂うるなり。

現代語訳

豊は、盛んであるがゆえに事故や面倒ごとが多いことです。親しむ相手が少ないのが旅です。離は火として上へ昇り、坎は水として下へ流れます。小畜は、蓄えが少ないことです。履は、一つ所にとどまらないことです。需は、待って進まないことです。訟は、争って親しまないことです。大過は、度を越して倒れることです。姤は出会いであり、柔らかいものが剛いものに出会うことです。漸は、女が嫁ぐのに男を待って行くことです。頤は、正しいものを養うことです。既済は、事が定まったことです。帰妹は、女の行き着く終わりです。未済は、男が行き詰まるところです。夬は決することであり、剛が柔を断ち切ることです。かくて君子の道は伸び、小人の道は憂いに沈みます。

解説

雑卦伝の締めくくりにあたる部分です。豊は盛んだからこそ事が多く、旅は親しむ者が少ない。離は上へ昇り、坎は下へ流れる。履はとどまらず、需は進まない。対になる性質を次々と言い切りながら、最後に「君子の道長じ、小人の道憂うるなり」と結ばれます。六十四卦を対句で切り分けていった果てに置かれたこの一句が、雑卦伝全体の落としどころになっています。ここで示されているのは、盛んさには盛んさの負荷があり、待つことにも進まないという性格があるという、価値の裏表を見る目です。良し悪しを単純に決めつけず、それぞれの状態が何を含んでいるかを言葉にしていく。そのうえで、筋を通す道は伸び、そうでない道は細っていくと述べます。日々の判断でも、対になる性質を並べて眺めたうえで、どちらの道に立つかを選ぶ。その積み重ねが問われます。

この一句を、あなたの毎日に。

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