易経 / 雑卦
《无妄》,災也。《萃》聚而《升》不來也。《謙》輕而《豫》怠也。《噬嗑》,食也。《賁》,无色也。《兌》見而《巽》伏也。《隨》,无故也。《蠱》則飭也。《剝》,爛也。
新字:《无妄》,災也。《萃》聚而《升》不来也。《謙》軽而《予》怠也。《噬嗑》,食也。《賁》,无色也。《兌》見而《巽》伏也。《随》,无故也。《蠱》則飭也。《剥》,爛也。
書き下し
无妄(むぼう)は、災いなり。萃(すい)は聚(あつ)まりて升は来たらざるなり。謙は軽くして豫(よ)は怠るなり。噬嗑(ぜいごう)は、食らうなり。賁(ひ)は、色无きなり。兌(だ)は見(あらわ)れて巽(そん)は伏するなり。随は、故(ふる)き无きなり。蠱(こ)は則ち飭(ととの)うるなり。剝(はく)は、爛(ただ)るるなり。
現代語訳
无妄は、思いがけずふりかかる災いです。萃は集まることであり、升は昇っていって戻ってこないことです。謙はへりくだって身を軽くすること、豫は楽しんで怠ることです。噬嗑は、噛んで食らうことです。賁は、飾りながらもその色が消え去っていくことです。兌は外に現れ、巽は内に伏せ隠れます。随は、古いものにこだわらないことです。蠱は、乱れを整え直すことです。剝は、熟しきって爛れ崩れることです。
解説
雑卦伝は、卦を二つずつ組にして、その違いを短く言い切っていきます。萃は集まり、升は昇って戻らない。謙は身を軽くし、豫は楽しんで怠る。兌は表に現れ、巽は内に伏す。似た方向を向いた卦のあいだにも、微妙な差があることを言葉で切り分けているのです。賁を「色无し」と言うのは、飾りを極めた先には色がなくなるという逆説的な見方で、装いの空しさをひと息に突いています。ここから学べるのは、近い概念を並べて違いを言葉にする訓練です。仕事でも、集めることと昇ることは違う、へりくだることと楽しんで手を抜くことは違う、と区別できるかどうかで判断の精度が変わります。似ているものを同じだと思わない。その一手間が、状況を見誤らないための足場になります。
この章句が説くこと
易経雑卦伝賁謙予蠱
関連する章句
-
易経・雑卦乾は剛にして坤は柔なり。比は楽しみ師は憂う。臨と観との義は、或いは与え或いは求む。屯(ちゅん)は見(あらわ)れて其の居を失わず。蒙(もう)は雑(まじ)わりて著(あらわ)る。震は、起こるなり。艮(ごん)は、止まるなり。損と益とは、盛衰の始めなり。大畜は、時なり。
-
易経・雑卦豊は故多きなり。親寡きは旅なり。離は上りて、坎は下るなり。小畜は寡きなり。履は処(を)らざるなり。需は進まざるなり。訟は親しまざるなり。大過は顛(くつがへ)るなり。姤は遇ふなり、柔剛に遇ふなり。漸は女帰ぐに男の行くを待つなり。頤は正を養ふなり。既済は定まるなり。帰妹は女の終りなり。未済は男の窮まるなり。夬は決するなり、剛柔を決するなり。君子の道長じ、小人の道消するなり。
-
易経・雑卦復は、反(かえ)るなり。晋は、昼なり。明夷(めいい)は、誅(やぶ)るるなり。井(せい)は通じて困は相遇うなり。咸(かん)は、速やかなり。恆(こう)は、久しきなり。渙(かん)は、離るるなり。節は、止まるなり。解(かい)は、緩むなり。蹇(けん)は、難きなり。睽(けい)は、外なり。
-
易経・雑卦家人は、内なり。否(ひ)と泰とは、其の類を反(かえ)すなり。大壮は則ち止まり、遯(とん)は則ち退くなり。大有は、衆(おお)きなり。同人は、親しむなり。革は、故(ふる)きを去るなり。鼎(てい)は、新しきを取るなり。小過は、過ぐるなり。中孚は、信なり。
-
易経・序卦剝(はく)とは、剝ぐなり。物は以て終に尽き剝がるべからず、上に窮まれば下に反(かえ)る、故に之を受くるに復を以てす。復れば則ち妄(みだ)りならず、故に之を受くるに无妄(むぼう)を以てす。无妄有りて、然る後に畜(たくわ)うべし、故に之を受くるに大畜を以てす。物畜えられて然る後に養うべし、故に之を受くるに頤(い)を以てす。頤とは、養うなり。養わざれば則ち動くべからず、故に之を受くるに大過を以てす。
-
易経・序卦大を有つ者は以て盈つべからず、故に之を受くるに謙を以てす。大を有ちて能く謙なれば必ず豫(よろこ)ぶ、故に之を受くるに豫を以てす。豫べば必ず随(したが)うこと有り、故に之を受くるに随を以てす。喜びを以て人に随う者は必ず事有り、故に之を受くるに蠱(こ)を以てす。蠱とは、事なり。事有りて而る後に大なるべし、故に之を受くるに臨を以てす。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る