易経 / 序卦
《臨》者,大也。物大然後可觀,故受之以《觀》。可觀而後有所合,故受之以《噬嗑》。嗑者,合也。物不可以苟合而已,故受之以《賁》。《賁》者,飾也。致飾然後亨則盡矣,故受之以《剝》。
新字:《臨》者,大也。物大然後可観,故受之以《観》。可観而後有所合,故受之以《噬嗑》。嗑者,合也。物不可以苟合而已,故受之以《賁》。《賁》者,飾也。致飾然後亨則尽矣,故受之以《剝》。
書き下し
臨とは、大なり。物大にして然る後に観るべし、故に之を受くるに観を以てす。観るべくして而る後に合する所有り、故に之を受くるに噬嗑(ぜいごう)を以てす。嗑とは、合するなり。物は以て苟(いやし)くも合するのみなるべからず、故に之を受くるに賁(ひ)を以てす。賁とは、飾るなり。飾りを致して然る後に亨(とお)れば則ち尽く、故に之を受くるに剝(はく)を以てす。
現代語訳
臨とは、大きくなることです。物が大きくなって、その後にはじめて仰ぎ見るに値するものとなります。だから次に観の卦を置きます。仰ぎ見るに値するものとなれば、その後に人と合わさるところが生じます。だから次に噬嗑の卦を置きます。嗑とは、噛み合わさることです。物事は、いいかげんに合わさっているだけであってはなりません。だから次に賁の卦を置きます。賁とは、飾ることです。飾りを極めつくして、それで一応の通りがついてしまえば、もう行き着くところまで行ったことになります。だから次に剝の卦を置きます。
解説
大きくなったもの(臨)は人から仰ぎ見られる存在になり(観)、見られることで人や物事と噛み合い(噬嗑)、ただ噛み合うだけでは粗いので形を整え飾りをつけ(賁)、しかし飾りを極めきったところで内実が伴わなければ、外から剝がれ落ちていく(剝)。成長・注目・結合・装飾・剝落という一続きの流れです。噬嗑は口の中の障害物を噛み砕く形とされ、邪魔を取り除いて噛み合わせることを意味します。賁は装飾ですが、序卦伝はその直後に剝を置き、飾りが行き着いた先の危うさを暗示しています。事業でも、注目を浴びて外面を整える段階まで来たときが、いちばん中身の空洞化に気づきにくい時期です。見栄えを磨いた分だけ、噛み合わせの精度と実質を点検する。飾りは中身の代わりにはならないという読み方が、ここからは引き出せます。