易経 / 文言
君子「黃」中通理,正位居體,美在其中而暢於四支,發於事業,美之至也。陰疑於陽必「戰」,為其嫌於无陽也,故稱「龍」焉。猶未離其類也,故稱「血」焉。夫「玄黃」者、天地之雜也。天玄而地黃。
新字:君子「黄」中通理,正位居体,美在其中而暢於四支,発於事業,美之至也。陰疑於陽必「戦」,為其嫌於无陽也,故称「竜」焉。猶未離其類也,故称「血」焉。夫「玄黄」者、天地之雑也。天玄而地黄。
書き下し
君子は「黃」中にして理に通じ、位を正して體に居り、美は其の中に在りて四支に暢び、事業に發す。美の至れるなり。陰の陽に疑わしければ必ず「戰う」。其の陽无きに嫌わるるが為なり、故に「龍」と稱す。猶お未だ其の類を離れざるなり、故に「血」と稱す。夫れ「玄黃」とは、天地の雜なり。天は玄にして地は黃なり。
現代語訳
君子は中に黄の徳を備えて物事の道理に通じ、その位を正しくして身を落ち着け、美しさが内に満ちて手足にまでのびひろがり、事業となって外に現れる。美の極みである。陰が陽と見まがうほどに盛んになれば、必ず戦うことになる。陽がないかのように思われるのを嫌うからである。だから「龍」と呼ぶ。それでもなお陰の類を離れてはいない。だから「血」と呼ぶ。そもそも「玄黄」とは、天と地の色が入りまじったものである。天は玄(黒)であり、地は黄である。
解説
前半は坤の五爻の解説で、黄という中の色を身の内に備え、道理に通じ、位を正しくして落ち着いている姿が描かれます。内に満ちた美しさが手足にまでのび、やがて事業となって外に現れる。ここが大切なところで、内面の充実は隠したままでは終わらず、必ず仕事のかたちになって出てくると言うのです。うわべを飾るのではなく、中身を満たせば外は自ずと整う。順序を取り違えるなという教えです。後半は坤の上爻、陰が極まって陽と競り合う場面です。陰が盛んになりすぎて陽と見まがうほどになれば、必ずぶつかり合いが起きる。そして天の玄と地の黄が入りまじった血が流れる、と象徴的に語られます。支える側の力が強くなりすぎ、立てるべき相手を立てなくなったとき、衝突は避けられません。自分の役割の位置を見失わないこと。充実と分限、この二つを同時に説いた締めくくりです。
この章句が説くこと
坤黄中通理陰疑於陽文言伝
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