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易経 / 文言

「潛龍勿用」,陽氣潛藏。「見龍在田」,天下文明。「終日乾乾」,與時偕行。「或躍在淵」,乾道乃革。「飛龍在天」,乃位乎天德。「亢龍有悔」,與時偕極。乾元「用九」,乃見天則。

新字:「潜竜勿用」,陽気潜蔵。「見竜在田」,天下文明。「終日乾乾」,与時偕行。「或躍在淵」,乾道乃革。「飛竜在天」,乃位乎天徳。「亢竜有悔」,与時偕極。乾元「用九」,乃見天則。

書き下し

「潛龍用うるなかれ」とは、陽氣潛み藏るるなり。「見龍田に在り」とは、天下文明なり。「終日乾乾」とは、時と偕に行くなり。「或いは躍りて淵に在り」とは、乾道乃ち革まるなり。「飛龍天に在り」とは、乃ち天德に位するなり。「亢龍悔い有り」とは、時と偕に極まるなり。乾元の「九を用う」とは、乃ち天則を見るなり。

現代語訳

「ひそめる龍、用いるな」とは、陽の気がまだひそみ隠れているということである。「あらわれた龍が田にいる」とは、天下が文(あや)をなして明らかになるということである。「一日じゅう努め励む」とは、時とともに歩んでいくということである。「あるいは躍り、あるいは淵にとどまる」とは、乾の道がここで改まるということである。「飛ぶ龍が天にいる」とは、天の徳の位に就いたということである。「昂ぶり上りつめた龍に悔いがある」とは、時とともに極まりきったということである。乾の元にいう「九を用う」とは、天の法則をそこに見るということである。

解説

同じ六つの段階を、今度は人物論ではなく、時の流れの側から言い直した一段です。潜龍は陽の気がまだひそんでいる時期。見龍は世が明るく秩序を現しはじめる時期。終日乾乾は時とともに歩む時期。或躍在淵は道筋が改まる転換期。飛龍在天は天の徳の位に就く時期。そして亢龍有悔は、時とともに極まりきった時期です。注目したいのは、どの段階も「時と偕に」という言い方で語られていることでしょう。人が偉かったから飛龍になるのでも、愚かだったから亢龍になるのでもなく、時の流れの中でその位置に立っているのだと見るのです。この視点に立てば、うまくいかない時期を必要以上に自分の無能と結びつけずに済みますし、順調な時期に自分の力を過信することもなくなります。今どの時に立っているかを冷静に見定め、その時にふさわしい振る舞いを選ぶ。それがこの段の勧める姿勢です。

この一句を、あなたの毎日に。

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