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易経 / 文言

九四曰:「或躍在淵,无咎。」何謂也?子曰:「上下无常,非為邪也。進退无恆,非離群也。君子進德脩業,欲及時也,故无咎。」九五曰:「飛龍在天,利見大人」。何謂也?子曰:「同聲相應,同氣相求。水流濕,火就燥,雲從龍,風從虎,聖人作而萬物覩。本乎天者親上,本乎地者親下,則各從其類也。」

新字:九四曰:「或躍在淵,无咎。」何謂也?子曰:「上下无常,非為邪也。進退无恒,非離群也。君子進徳脩業,欲及時也,故无咎。」九五曰:「飛竜在天,利見大人」。何謂也?子曰:「同声相応,同気相求。水流湿,火就燥,雲従竜,風従虎,聖人作而万物覩。本乎天者親上,本乎地者親下,則各従其類也。」

書き下し

九四に曰く、「或いは躍りて淵に在り、咎无し」とは、何の謂ぞや。子曰く、「上下常无きも、邪を為すに非ざるなり。進退恆无きも、群を離るるに非ざるなり。君子は德に進み業を脩め、時に及ばんと欲す、故に咎无し」と。九五に曰く、「飛龍天に在り、大人を見るに利し」とは、何の謂ぞや。子曰く、「同聲相い應じ、同氣相い求む。水は濕に流れ、火は燥に就く。雲は龍に從い、風は虎に從う。聖人作りて萬物覩る。天に本づく者は上に親しみ、地に本づく者は下に親しむ。則ち各おの其の類に從うなり」と。

現代語訳

九四に「あるいは躍り上がり、あるいは淵にとどまる。咎はない」とあるのは、どういう意味か。先生が言われた。「上に行ったり下に戻ったりして定まらないが、よこしまなことをしているのではない。進んだり退いたりして一定しないが、仲間から離れようとしているのではない。君子は徳を進め事業を修め、時に間に合おうとしているのである。だから咎はない」。九五に「飛ぶ龍が天にいる、大人に会うのがよい」とあるのは、どういう意味か。先生が言われた。「同じ声は互いに応じ合い、同じ気は互いに求め合う。水は湿ったところへ流れ、火は乾いたところへ向かう。雲は龍に従い、風は虎に従う。聖人が立ち上がれば、万物がそれを仰ぎ見る。天にもとづくものは上に親しみ、地にもとづくものは下に親しむ。それぞれが同じ類のものに従うのである」。

解説

九四は、飛び上がるか淵にとどまるか、態度の定まらない段階です。文言伝はこれを不誠実だとは見ません。上下に揺れるのは邪心からではなく、進退が一定しないのは仲間を見捨てるためでもない。時に間に合うよう徳と事業を練っているからだ、と読みます。迷いを、成熟の途中にある必要な揺れとして肯定しているのです。続く九五は、力が満ちて天に至った段階。ここで示されるのが「同声相応じ、同気相求む」という有名な言葉です。同じ響きは共鳴し、水は湿へ、火は乾へ向かい、雲は龍に、風は虎に従う。ふさわしい人が立てば、ふさわしいものが自然と集まってくるという見方です。人集めに苦労している時は、集める技術の前に、自分が何を発しているかを問い直す。惹きつけたい類のものに応じた声を出しているか。九四の揺れを経て九五に至る流れは、そういう順序を教えています。

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