易経 / 繋辞下
易之為書也不可遠,為道也屢遷,變動不居,周流六虛,上下无常,剛柔相易,不可為典要,唯變所適,其出入以度,外內使知懼,又明於憂患與故,无有師保,如臨父母,初率其辭,而揆其方,既有典常,苟非其人,道不虛行。
新字:易之為書也不可遠,為道也屡遷,変動不居,周流六虚,上下无常,剛柔相易,不可為典要,唯変所適,其出入以度,外内使知懼,又明於憂患与故,无有師保,如臨父母,初率其辞,而揆其方,既有典常,苟非其人,道不虚行。
書き下し
易の書たるや遠ざくべからず。道たるや屢々遷る。変動して居らず、六虚に周流し、上下常无く、剛柔相易わり、典要と為すべからず、唯だ変の適く所のままなり。其の出入は度を以てし、外内ともに懼れを知らしむ。又た憂患と故とに明らかなり。師保有る无けれども、父母に臨むが如し。初め其の辞に率いて、其の方を揆れば、既に典常有り。苟くも其の人に非ざれば、道は虚しくは行われず。
現代語訳
易という書は、遠ざけてはならない。その説く道は、たびたび移り変わる。変わり動いて一つ所に留まらず、六つの位を巡り流れ、上下に定まりがなく、剛と柔とが入れ替わり、固定した決まりごとにすることはできない。ただ変化の赴くところに従うのみである。その出入りには節度があり、外においても内においても、おそれ慎むことを知らせる。また憂いや患い、そしてその理由をも明らかにする。師や守り役がいなくても、父母のそばにいるかのようである。初めにその言葉に従い、その筋道をはかっていけば、そこにはやはり一定の常道がある。とはいえ、その人にふさわしい者でなければ、道はむなしく行われるものではない。
解説
易は手元から遠ざけてはならない、という言葉から始まります。なぜならその道はたびたび移り変わり、決まりきった規則として固定できないからです。剛柔は入れ替わり、位は巡り、状況は絶えず動く。だから「唯だ変の適く所のまま」と言われます。ここだけ読むと、易は原則のない書のように思えるかもしれません。しかし文はすぐに転じ、出入りには節度があり、初めに辞に従って筋道をはかれば、そこには常道があると述べます。変化は無秩序ではなく、変化そのものの中に一定の型がある、という見方です。そして最後の一句が重い。「苟くも其の人に非ざれば、道は虚しくは行われず」。どれほど優れた道理も、それを受け取る人がいなければ働かないのです。仕事でいえば、どんなに良い制度やマニュアルも、扱う人の姿勢が伴わなければ空文になります。変化に応じて動きつつ、根の部分では慎みを保つ。その人になって初めて、道は生きて働きます。
この章句が説くこと
周流六虚唯変所適典常易の読み方
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易経・繋辞下易の興るや、其れ殷の末世、周の盛徳に当たるか。文王と紂との事に当たるか。是の故に其の辞は危うし。危うくする者は平らかならしめ、易る者は傾かしむ。其の道は甚だ大にして、百物廃せず。懼れて以て終始すれば、其の要は咎无し。此れを之れ易の道と謂う。夫れ乾は天下の至健なり、徳行は恒に易くして以て険を知る。夫れ坤は天下の至順なり、徳行は恒に簡にして以て阻を知る。
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