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易経 / 繋辞下

子曰:「乾坤其易之門邪?乾,陽物也;坤,陰物也;陰陽合德,而剛柔有體,以體天地之撰,以通神明之德,其稱名也雜而不越,於稽其類,其衰世之意邪?」夫易,彰往而察來,而微顯闡幽,開而當名,辨物正言,斷辭則備矣,其稱名也小,其取類也大,其旨遠,其辭文,其言曲而中,其事肆而隱,因貳以濟民行,以明失得之報。

新字:子曰:「乾坤其易之門邪?乾,陽物也;坤,陰物也;陰陽合徳,而剛柔有体,以体天地之撰,以通神明之徳,其稱名也雑而不越,於稽其類,其衰世之意邪?」夫易,彰往而察来,而微顕闡幽,開而当名,辨物正言,断辞則備矣,其稱名也小,其取類也大,其旨遠,其辞文,其言曲而中,其事肆而隠,因貳以済民行,以明失得之報。

書き下し

子曰く、「乾坤は其れ易の門か。乾は陽物なり、坤は陰物なり。陰陽徳を合わせて、剛柔体有り。以て天地の撰を体し、以て神明の徳に通ず。其の名を称すること雑にして越えず。其の類を稽うるに、其れ衰世の意か」と。夫れ易は、往を彰らかにして来を察し、顕を微にして幽を闡く。開きて名に当て、物を弁じ言を正し、辞を断ずれば則ち備わる。其の名を称すること小にして、其の類を取ること大なり。其の旨は遠く、其の辞は文なり。其の言は曲にして中り、其の事は肆にして隠る。貳に因りて以て民の行を済し、以て失得の報を明らかにす。

現代語訳

孔子はいわれた。「乾と坤は、易の入口といえようか。乾は陽のもの、坤は陰のものである。陰と陽とがその徳を合わせて、剛と柔とに形が備わる。それによって天地のはたらきを体現し、はかりしれぬ徳に通じるのである。その名の呼び方はさまざまに入り混じっているが、筋道を越えることはない。その類を考えてみると、これは衰えた世を思う心から出たものであろうか」と。そもそも易は、過ぎたことを明らかにして来たるべきことを察し、あらわなことを微細にとらえ、隠れたことを開き明かす。開いて名に当てはめ、物を弁別し言葉を正し、判断の辞を定めれば、それで備わる。その名の呼び方は小さいが、その取る類は大きい。その趣旨は遠くまで及び、その言葉はあやがある。その言い方は遠回しでありながら的を射て、その述べる事柄はあけすけでありながら奥に含みがある。二つのもののはたらきによって民の行いを助け、失うことと得ることの報いを明らかにするのである。

解説

乾と坤を易の門、すなわち入口だと呼ぶ一段です。陽と陰の二つが徳を合わせることで剛柔の形が生まれ、天地のはたらきが写し取られる。すべては二つの根本から始まるという宣言です。続いて、易という書物の性格が語られます。過ぎたことを明らかにして来たるべきことを察し、あらわなものを細やかに見、隠れたものを開き明かす。呼ぶ名は小さくとも、その指し示す範囲は大きい。言葉は遠回しでありながら的を射て、述べる事柄はあけすけでありながら奥に含みがある。この評は、易の読み方そのものを教えています。書かれた文字を字面どおりに受け取るだけでは足りず、その小さな名が指し示す広い類を汲み取れということです。ここには「衰世の意か」という一言もあります。世が乱れ、憂いがあったからこそ、人は先を読む知恵を求めた。仕事でも、順風のときより苦しいときのほうが、学びは深く刻まれます。憂いは、ものを見る目を鍛える機会でもあるのです。

この一句を、あなたの毎日に。

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