易経 / 繋辞下
夫乾,確然示人易矣。夫坤,隤然示人簡矣。爻也者,效此者也。象也者,像此者也。爻象動乎內,吉凶見乎外,功業見乎變,聖人之情見乎辭。天地之大德曰生,聖人之大寶曰位。何以守位曰仁,何以聚人曰財。理財正辭,禁民為非曰義。
新字:夫乾,確然示人易矣。夫坤,隤然示人簡矣。爻也者,効此者也。象也者,像此者也。爻象動乎内,吉凶見乎外,功業見乎変,聖人之情見乎辞。天地之大徳曰生,聖人之大宝曰位。何以守位曰仁,何以聚人曰財。理財正辞,禁民為非曰義。
書き下し
夫れ乾は、確然として人に示すこと易し。夫れ坤は、隤然として人に示すこと簡なり。爻なる者は、此に效う者なり。象なる者は、此に像る者なり。爻象は内に動きて、吉凶は外に見れ、功業は変に見れ、聖人の情は辞に見る。天地の大徳を生と曰い、聖人の大宝を位と曰う。何を以てか位を守る、仁と曰う。何を以てか人を聚む、財と曰う。財を理め辞を正し、民の非を為すを禁ずる、義と曰う。
現代語訳
乾は堅く確かなありようで、人に対してたやすくその働きを示す。坤はやわらかく従うありようで、人に対して簡素にその働きを示す。爻とは、この乾坤の働きにならったものであり、象とは、この働きをかたどったものである。爻や象は内側で動き、吉凶は外側にあらわれる。功績や事業は変化のうちにあらわれ、聖人の思いは卦爻に付された言葉にあらわれる。天地の最も大きな徳は、生み育てることである。聖人の最も大きな宝は、その位である。何によってその位を守るのか。仁によってである。何によって人を集めるのか。財によってである。財をよく治め、言葉を正し、人々が悪事を働かないようにするもの、それを義という。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『講孟余話』盡心上 第三十四章是れ上章「其の有に非ずして之を取るは義に非ず」と云ふに因りて、陳仲子の義、大義とするに足らず、只是れ簞食豆羹を舎つるの義なるを云ふ。陳仲子の事は、滕文公下篇末章に詳らかなり。仲子兄を避け母を離れ、吾が禄を食はず、これ親戚・君臣・上下を亡みするなり。已に人の大倫を外したる人なれば、他の小義は復た云ふに足る者なし。今斉国大なる如しと云へども、畢竟簞食豆羹と異なることなし。孟子論ずる所は物の大小に非ず、乃ち義の大小なり。是れを以て知るべし、聖人は人倫の至りにて、聖人の道は又人倫を以て大綱とす。受与の際に至りては、特に其の細目のみ。夷・斉の餓死する如くにして君臣の義あり、匡章の養はれざる如くにして、却つて父子の親ありと知るべし。
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