易経 / 繋辞上
易有聖人之道四焉;以言者尚其辭,以動者尚其變,以制器者尚其象,以卜筮者尚其占。以君子將有為也,將有行也,問焉而以言,其受命也如響,无有遠近幽深,遂知來物。非天下之至精,其孰能與於此。
新字:易有聖人之道四焉;以言者尚其辞,以動者尚其変,以制器者尚其象,以卜筮者尚其占。以君子将有為也,将有行也,問焉而以言,其受命也如響,无有遠近幽深,遂知来物。非天下之至精,其孰能与於此。
書き下し
易に聖人の道四つ有り。以て言う者は其の辞を尚(たっと)び、以て動く者は其の変を尚び、以て器を制する者は其の象を尚び、以て卜筮する者は其の占を尚ぶ。是を以て君子将に為す有らんとし、将に行う有らんとして、問いて以て言えば、其の命を受くること響きの如し。遠近幽深と无く、遂に来物を知る。天下の至精に非ずんば、其れ孰(たれ)か能く此れに与(あず)からん。
現代語訳
易には聖人の道が四つある。言葉を用いる者はその辞を尊び、行動する者はその変化を尊び、道具を作る者はその象を尊び、卜占をする者はその占を尊ぶ。だから君子が何かをなそうとし、何かを行おうとして、易に問うてこれを言葉にすれば、その答えを受け取ることは、こだまが返ってくるように速やかである。遠いことも近いことも、奥深いことも隠れたことも、区別なく、ついには来たるべきものを知る。天下のきわめて精妙なものでなければ、どうしてこのようなことに関わりえようか。
解説
易の使い道には四つの側面がある、と整理した一段です。言葉を練る人は辞に学び、行動する人は変化の筋道に学び、物を作る人は象(かたち)に学び、占う人は占に学ぶ。つまり易は、占いの本であると同時に、言語の書、行動の書、設計の書でもあると宣言しているわけです。ここが繋辞伝の広さで、易を狭く占術に閉じ込めていません。「其の命を受くること響きの如し」という表現も、超自然的な託宣を言っているというより、問いが的確であれば答えは即座に形を取る、という意味に読めます。実際、私たちの仕事でも、問いが曖昧なままでは何を調べても答えが出ず、問いが澄めば必要な情報のほうが集まってきます。「将に為す有らんとし」とあるように、易は何もしない人には答えません。行動しようとする者が、自分の構想を言葉にして問うたとき、はじめて手がかりが返ってくるのです。
この章句が説くこと
聖人之道四辞変象占至精問いを立てる
関連する章句
-
易経・繋辞上夫れ易は、聖人の深きを極めて幾(き)を研(きわ)むる所以なり。唯だ深きが故に、能く天下の志に通ず。唯だ幾なるが故に、能く天下の務めを成す。唯だ神なるが故に、疾(と)からずして速やかに、行かずして至る。子の曰く「易に聖人の道四つ有り」とは、此れを之れ謂うなり。子曰く、「夫れ易は、何を為す者ぞや。夫れ易は物を開き務めを成し、天下の道を冒(おお)う、斯(か)くの如き者のみ。是の故に、聖人は以て天下の志に通じ、以て天下の業を定め、以て天下の疑いを断つ」と。是の故に、蓍(し)の徳は、円にして神。卦の徳は、方にして知。六爻の義は、易にして貢(つ)ぐ。聖人此を以て心を洗い、退きて密に蔵(かく)れ、吉凶は民と患いを同じくす。神以て来たるを知り、知以て往(さ)にしを蔵む。其れ孰か能く此れに与らんや。古の聡明叡知にして神武にして殺さざる者か。
-
易経・繋辞上易(い)なれば則ち知り易く、簡なれば則ち従い易し。知り易ければ則ち親しみ有り、従い易ければ則ち功有り。親しみ有れば則ち久しかるべく、功有れば則ち大なるべし。久しかるべきは則ち賢人の徳、大なるべきは則ち賢人の業なり。易簡にして、天下の理得らる。天下の理得られて、位を其の中に成すなり。聖人卦を設けて象を観、辞を繋けて吉凶を明らかにし、剛柔相推して変化を生ず。
-
易経・繋辞上是の故に、夫れ象は、聖人以て天下の賾(さく)を見る有り、而して諸を其の形容に擬し、其の物宜に象る。是の故に之を象と謂う。聖人以て天下の動を見る有り、而して其の会通を観て、以て其の典礼を行う。辞を繋けて、以て其の吉凶を断ず。是の故に之を爻と謂う。天下の賾を極むる者は、卦に存す。天下の動を鼓する者は、辞に存す。化して之を裁するは、変に存す。推して之を行うは、通に存す。神にして之を明らかにするは、其の人に存す。黙して之を成し、言わずして信あるは、徳行に存す。
-
『近思録』巻3 致知「易に聖人の道四つ有り。以て言ふ者は其の辞を尚び、以て動く者は其の変を尚び、以て器を制する者は其の象を尚び、以て卜筮する者は其の占を尚ぶ」。吉凶消長の理、進退存亡の道は、辞に備はる。辞を推し卦を考ふれば、以て変を知るべし。象と占とは其の中に在り。「君子居れば則ち其の象を観て其の辞を玩び、動けば則ち其の変を観て其の占を玩ぶ」。辞に得て其の意に達せざる者は之有り、未だ辞に得ずして能く其の意に通ずる者有らざるなり。至微なる者は理なり、至著なる者は象なり。体用一源、顕微無間なり。「会通を観て以て其の典礼を行ふ」ときは、則ち辞備はらざる所無し。故に善く学ぶ者は言を求むること必ず近きよりす。近きを易る者は、言を知る者に非ざるなり。予の伝ふる所の者は辞なり。辞に由りて以て意を得るは、則ち人に在り。伊川先生張閎中に答ふる書に曰く、易伝未だ伝へざるは、自ら精力の未だ衰へざるを量り、尚ほ少しく進む有らんことを覬(こひねが)ふのみ。来書に云ふ、「易の義は本数より起こる」と。義数より起こると謂ふは則ち非なり。理有りて後に象有り、象有りて後に数有り。易は象に因りて以て理を明らかにし、象に由りて以て数を知る。其の義を得れば則ち象数其の中に在り。必ず象の隠微を窮め、数の毫忽を尽くさんと欲するは、乃ち流れを尋ねて末を逐ふなり。術家の尚ぶ所にして、儒者の務むる所に非ざるなり。時を知り勢を識るは、易を学ぶの大方なり。大畜の初二は、乾体剛健なるも、以て進むに足らず。四五は陰柔にして能く止む。時の盛衰、勢の強弱は、易を学ぶ者の宜しく深く識るべき所なり。諸卦の二五は、位に当たらずと雖も、多く中を以て美と為す。三四は位に当たると雖も、或いは中ならざるを以て過ちと為す。中は常に正より重し。蓋し中なれば則ち正に違はず、正は必ずしも中ならず。天下の理は中より善きは莫し、九二六五に於て見るべし。問ふ、胡先生九四を解して太子と作す、恐らくは是れ卦の義にあらざらん。
-
易経・繋辞上子曰く、「書は言を尽くさず、言は意を尽くさず。然らば則ち聖人の意は、其れ見(あら)わすべからざるか」と。子曰く、「聖人は象を立てて以て意を尽くし、卦を設けて以て情偽を尽くし、辞を繋けて以て其の言を尽くし、変じて之に通じて以て利を尽くし、之を鼓し之を舞わして以て神を尽くす」と。乾坤は其れ易の縕(おく)なるか。乾坤列を成して、易其の中に立つ。乾坤毀(やぶ)るれば、則ち以て易を見る无し。易見るべからざれば、則ち乾坤或いは息(や)むに幾(ちか)からん。是の故に、形而上なる者、之を道と謂い、形而下なる者、之を器と謂う。化して之を裁する、之を変と謂い、推して之を行う、之を通と謂い、挙げて之を天下の民に錯(お)く、之を事業と謂う。
-
易経・繋辞上是の故に、天は神物を生じて、聖人は之に則る。天地変化して、聖人は之に效(なら)う。天は象を垂れて、吉凶を見(あら)わし、聖人は之に象る。河は図を出だし、洛は書を出だし、聖人は之に則る。易に四象有るは、示す所以なり。辞を繋くるは、告ぐる所以なり。之を定むるに吉凶を以てするは、断ずる所以なり。易に曰く、「天より之を祐く、吉にして利ろしからざる无し」と。子曰く、「祐とは、助くるなり。天の助くる所の者は、順なり。人の助くる所の者は、信なり。信を履(ふ)み順を思い、又た以て賢を尚(たっと)ぶ。是を以て天より之を祐く、吉にして利ろしからざる无きなり」と。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る