易経 / 繋辞上
是故,君子居則觀其象,而玩其辭;動則觀其變,而玩其占。是以自天祐之,吉无不利。彖者,言乎象者也。爻者,言乎變者也。吉凶者,言乎其失得也。悔吝者,言乎其小疵也。无咎者,善補過也。
新字:是故,君子居則観其象,而玩其辞;動則観其変,而玩其占。是以自天祐之,吉无不利。彖者,言乎象者也。爻者,言乎変者也。吉凶者,言乎其失得也。悔吝者,言乎其小疵也。无咎者,善補過也。
書き下し
是の故に、君子は居れば則ち其の象を観て、其の辞を玩(あじわ)い、動けば則ち其の変を観て、其の占を玩う。是を以て天より之を祐(たす)く、吉にして利ろしからざる无し。彖(たん)とは、象を言う者なり。爻とは、変を言う者なり。吉凶とは、其の失得を言う者なり。悔吝とは、其の小疵(しょうし)を言う者なり。咎无(とがな)しとは、善く過ちを補うなり。
現代語訳
そういうわけで、君子は静かに居るときにはその卦の象をよく観て、そこに付された言葉を味わい、行動を起こすときにはその変わりゆく筋道を観て、その判断をよく味わう。だからこそ天がこれを助け、吉であって、うまくいかないことがない。彖辞とは卦全体の象について語ったものであり、爻辞とは変化について語ったものである。吉凶とは、失うか得るかを語ったものである。悔吝とは、小さな傷や欠点を語ったものである。咎なしとは、過ちをうまく補い改めたということである。
解説
前半は、易を学ぶ人の日々の姿勢を描いています。落ち着いているときには全体の形と言葉をじっくり味わい、いざ動くときには変化の筋道と判断を確かめる。静と動の両方に学びの時間を置くという構えです。「天より之を祐く」という句は、天が特別にえこひいきするという意味ではなく、道理にかなった備えをしている人には結果として順風が吹く、という見方だと受け取れます。後半は用語の定義で、とくに「无咎(咎なし)」の説明が要になります。無傷で完璧だったから咎がないのではなく、過ちをよく補ったから咎に至らなかった、というのです。これは易全体に流れる寛やかな人間観です。人は必ず誤ります。問題は誤らないことではなく、小さな疵のうちに手当てできるかどうかです。仕事でいえば、失敗の報告が早く上がる組織ほど「无咎」に近い。過ちを責める前に、補う道を用意しておきたいところです。