易経 / 象伝
麗澤,兌;君子以朋友講習。
新字:麗沢,兌;君子以朋友講習。
書き下し
麗なる澤は兌なり、君子は以て朋友と講習す。
現代語訳
二つの沢が並び連なって水を通わせ合っている、これが兌の形である。君子はこれにならって友人とともに学び、語り合って修める。
解説
兌の卦は、上も下も沢という形です。沢が並び連なり、互いに水を通わせて潤し合う光景で、兌とは「よろこぶ」ことを意味します。隣り合った沢は、一方が涸れそうになれば他方から水が流れ込み、どちらも枯れずに保たれます。君子はこの姿にならい、友とともに学び、語り合って己を磨くのだと説かれます。学びとは本来ひとりで抱え込むものではなく、通わせ合うことで互いに潤い、深まり、そこに喜びが生まれるという見方です。仕事や経営に置き換えれば、学びを開くことの効用にあたります。自分の知見を惜しんで抱え込む人のもとには、新しい水も流れてきません。逆に、率直に問い、率直に教え合う関係を持つ人は、絶えず刺激を受けて涸れることがありません。互いに教え合える相手を持ち、語り合う場を大切にする。そこで得られる喜びこそが続ける力になるというのが、兌の教える身の処し方です。
この章句が説くこと
易経象伝兌切磋琢磨
関連する章句
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大学《詩》に云く、「彼の淇(き)の澳(くま)を瞻(み)れば、菉竹(りょくちく)猗猗(いい)たり。斐(ひ)たる君子有り、切するが如く磋(さ)するが如く、琢(たく)するが如く磨(ま)するが如し。瑟(しつ)たり僩(かん)たり、赫(かく)たり喧(けん)たり。斐たる君子有り、終に諠(わす)るべからず」と。「切するが如く磋するが如し」とは、学を道(い)うなり。「琢するが如く磨するが如し」とは、自ら修むるなり。「瑟たり僩たり」とは、恂慄(じゅんりつ)なり。「赫たり喧たり」とは、威儀なり。「斐たる君子有り、終に諠るべからず」とは、盛徳至善、民の忘るること能わざるを道うなり。《詩》に云く、「於戲(ああ)、前王忘れず」と。君子はその賢を賢として其の親を親とし、小人は其の楽を楽しみて其の利を利とす。此を以て世を没(お)うるまで忘れざるなり。
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荀子・大略篇人の文学に於(お)けるや、猶(なほ)玉の琢磨(たくま)に於けるがごときなり。詩に曰く、「切するが如く磋(さ)するが如く、琢(たく)するが如く磨するが如し」と。学問を謂(い)ふなり。和(か)の璧(へき)は、井里(せいり)の厥(いしころ)なり。玉人(ぎょくじん)之を琢きて、天子の宝と為る。子贛(しこう)・季路(きろ)は故(もと)鄙人(ひじん)なり。文学を被(かうむ)り、礼義を服して、天下の列士と為る。
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