易経 / 彖伝
“渙,亨”,剛來而不窮,柔得位乎外而上同。“王假有廟”,王乃在中也。“利涉大川”,乘木有功也。
新字:“渙,亨”,剛来而不窮,柔得位乎外而上同。“王仮有廟”,王乃在中也。“利渉大川”,乗木有功也。
書き下し
「渙(かん)は亨(とお)る」とは、剛来たりて窮(きわ)まらず、柔は外に位を得て上と同じくすればなり。「王有廟(ゆうびょう)に假(いた)る」とは、王乃(すなわ)ち中に在ればなり。「大川を渉(わた)るに利(よ)ろし」とは、木に乗りて功有ればなり。
現代語訳
「渙は通じる」というのは、剛が内に来て行き詰まらず、柔が外卦で正しい位を得て、上位の者と志を同じくするからである。「王が宗廟に至る」とは、王がまさに中を得た位にいるということである。「大河を渡るのがよい」とは、木の舟に乗ってこそ功があるからである。
解説
渙(かん)は、水の上を風が渡り、氷や淀みが解けて散っていく形です。彖辞は、剛が内に来て行き詰まらず、柔が外で位を得て上と志を同じくするから「渙は亨る」と述べます。「王有廟に至る」とは、人心が散り散りになりかけたときこそ、上に立つ者が中心に立ち、祖先を祀る場に人を集めて心を一つにするということ。「木に乗りて功有り」は、舟に乗ってこそ大河を渡れる、離散の局面では適切な道具と仕組みに乗ることが要る、という意味です。組織でも、士気が散り、方向感が失われる時期は必ず訪れます。そのとき必要なのは、散らすべきものと集めるべきものを見分けることでしょう。私心やわだかまりは散らし、理念と人の集う場は集める。中心に立つ人が動じないこと。それが渙を通す条件になります。
この章句が説くこと
渙離散求心力宗廟
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