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易経 / 彖伝

“大過”,大者過也。“棟撓”,本末弱也。剛過而中,巽而説,行。利有攸往,乃亨。“大過”之時大矣哉!

書き下し

「大過」は、大なる者過ぎたるなり。「棟撓む」とは、本末弱ければなり。剛過ぎたれども中し、巽いて説び、行わる。往く攸有るに利ろしくして、乃ち亨る。「大過」の時大なるかな。

現代語訳

「大過」とは、大きなものが過ぎている、行き過ぎているということである。「棟木がたわむ」とは、根本と末端とが弱いからである。剛が過剰でありながら、なお中を得ている。従順にしてよろこび、そうして事が行われる。進んで行くところがあるのがよく、そこで通じるのである。「大過」の時のもつ意義は、なんと大きいことか。

解説

大過は「大いに過ぎる」、常軌を超えた非常時をあらわす卦です。象徴は「棟撓む」——家の大黒柱である棟木がたわんでいる姿でしょう。なぜたわむのか。「本末弱ければなり」、根元と先端が弱いからだと言います。真ん中だけが重く、支える両端が細い。これでは持ちません。組織でいえば、中枢だけが肥大し、土台と現場が細っている状態です。ただし彖伝は、ここで悲観に沈みません。「剛過ぎたれども中し」——力が過剰であっても、なお中庸の軸を失っていない。だから「巽いて説び」、柔らかくよろこびをもって進めば事は行われ、「往く攸有るに利ろし」、動くことがよいのだと言います。非常時には、常識どおりでは足りない大胆さが要る。しかしその大胆さも、芯に中庸がなければただの暴走です。危機に臨んで思い切った手を打つ時ほど、軸を確かめることです。

この一句を、あなたの毎日に。

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