易経 / 彖伝
無妄,剛自外來而為主於內,動而健,剛中而應。大亨以正,天之命也。“其匪正有眚,不利有攸往”,無妄之往何之矣?天命不祐,行矣哉!
新字:無妄,剛自外来而為主於内,動而健,剛中而応。大亨以正,天之命也。“其匪正有眚,不利有攸往”,無妄之往何之矣?天命不祐,行矣哉!
書き下し
無妄は、剛外より来りて内に主と為る、動きて健、剛中にして応ず。大いに亨りて以て正しきは、天の命なり。「其れ正に匪ざれば眚有り、往く攸有るに利ろしからず」とは、無妄の往くこと何くにか之かん。天命祐けず、行かんや。
現代語訳
無妄とは、剛が外から来て内側の主となる。動いて健やかであり、剛が中を得て呼応し合う。大いに通じてしかも正しいのは、天の命である。「もし正しくなければ、わざわいがある。進んで行くところがあるのはよくない」とは、無妄でありながら進もうとして、いったいどこへ行こうというのか、ということである。天命がたすけないのに、行けるものだろうか。
解説
無妄は「妄り無し」、いつわりや作為がない状態をあらわす卦です。彖伝は「大いに亨りて以て正しきは、天の命なり」と言います。作為をまじえず、あるがままに正しくあること。それは人の工夫の産物ではなく、天の命に沿った姿なのだ、という見方です。ここで厳しいのが後半でしょう。「其れ正に匪ざれば眚有り」——少しでも正しさを外れれば、わざわいがある。しかも「往く攸有るに利ろしからず」、動くのもよくない。無妄の時には、あれこれ策を弄して動くこと自体が「妄」になってしまうからです。「天命祐けず、行かんや」——天のたすけがないのに、どこへ行けるのか。手を打ちたくなる時ほど、小細工が事を損なうことがあります。無妄が求めるのは、下心を交えず、目の前のなすべきことを誠実に行うこと。結果を操作しようとしない構えこそが、この卦の芯にあります。
この章句が説くこと
無妄いつわりのなさ天の命作為を捨てる
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