易経 / 彖伝
大觀在上,順而巽,中正以觀天下,觀。“盥而不薦,有孚顒若”,下觀而化也。觀天之神道,而四時不忒,聖人以神道設教,而天下服矣。
新字:大観在上,順而巽,中正以観天下,観。“盥而不薦,有孚顒若”,下観而化也。観天之神道,而四時不忒,聖人以神道設教,而天下服矣。
書き下し
大観上に在り、順にして巽い、中正にして以て天下に観す、観なり。「盥いて薦めず、孚有りて顒若たり」とは、下観て化すればなり。天の神道を観るに、四時忒わず。聖人神道を以て教えを設けて、天下服す。
現代語訳
大いなる見本が上にある。従順でへりくだり、中正であって天下に示す。それが観である。「手を清めて、まだ供え物を捧げていない。誠実さがあって、おごそかである」とは、下の者がそれを見て感化されるからである。天の神妙なはたらきを観れば、四季は少しも狂わない。聖人はその神妙な道理によって教えを立て、天下の人々は心から従うのである。
解説
観は「観る」「観せる」ことをあらわす卦です。彖伝は「大観上に在り」——大いなる見本が上にある、と言います。上に立つ者は、語る前にまず見られている。その姿が「中正にして以て天下に観す」、偏りなく正しければ、それだけで人は動くというのです。印象深いのが「盥いて薦めず」の場面でしょう。祭祀で手を清め、まだ供え物を捧げてはいない、その最も張りつめた瞬間。派手な儀式の本番ではなく、心が澄んだこの静かな時にこそ、見る者は打たれる。「下観て化すればなり」——下の者はそれを見て自ずと変わる。号令ではなく、姿が人を変えるのです。そして四季が狂わない天のはたらきを引き、聖人の教えもまたそのように静かに人を服させると説きます。組織の空気は、上に立つ人の見えないところでの振る舞いから作られていきます。