伝習録 / 黄以方録
問:「近來妄念也覺少,亦覺不曾著想定要如何用功。不知此是工夫否?」先生曰:「汝且去著實用功,便多這些著想也不妨,久久自會妥帖。若纔下得些功,便說效驗,何足為恃?」
新字:問:「近来妄念也覚少,亦覚不曽著想定要如何用功。不知此是工夫否?」先生曰:「汝且去著実用功,便多這些著想也不妨,久久自会妥帖。若纔下得些功,便説効験,何足為恃?」
書き下し
問う、「近来、妄念も也(また)少なきを覚ゆ。亦た曾て想を著けて定めて如何にして功を用いんと要せざるを覚ゆ。知らず、此れは是れ工夫なりや否や」と。先生曰く、「汝、且く去きて著実に功を用いよ。便ち這些の著想を多くするも也(また)妨げず。久久にして自ら妥帖するを会(よ)くせん。若し纔かに些の功を下し得て、便ち効験を説かば、何ぞ恃むに足らんや」と。
現代語訳
問うた。「近ごろ妄念も少なくなったように感じます。また、どう努力しようと構えることもなくなったように感じます。これは工夫でしょうか」。先生は「まずは実際に努力せよ。そういう思いが多少あっても構わない。長く続ければ自ずと落ち着く。少し努力しただけで効き目を語るなら、何を頼りにできよう」と言われた。
解説
努力を始めたばかりの時、「少し良くなった気がする」と感じるのは自然なことです。しかし、その小さな変化に一喜一憂し、すぐに「効果が出た」と結論づけてしまうのは、本質的な成長を妨げかねません。大切なのは、目先の成果に囚われず、地道な努力を続けること。焦らず、着実に実践を重ねることで、やがて心は落ち着き、真の力が身につきます。継続こそが、揺るぎない自信と確かな実力へとつながるのです。
この章句が説くこと
若纔下得些功便説効験何足為恃継続
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