伝習録 / 黄以方録
先生曰:「人之本體,常常是寂然不動的,常常是感而遂通的;未應不是先,已應不是後。」
新字:先生曰:「人之本体,常常是寂然不動的,常常是感而遂通的;未応不是先,已応不是後。」
書き下し
先生曰く、「人の本体は、常常、是れ寂然不動的なり。常常、是れ感じて遂に通ずる的なり。未だ応ぜざるは是れ先にあらず、已に応ずるは是れ後にあらず」と。
現代語訳
先生は言われた。「人の本体は、常に寂然として動かず、常に感じて通じる。まだ応じていないのが先ではなく、すでに応じたのが後ではない」。
解説
私たちの心は、何かを感じて反応する前と後で、本質が変わることはありません。例えば、予期せぬ出来事に直面した時、驚いたり、考えたり、行動したりしますが、その一連のプロセスの根底には、常に変わらない「自分」という存在があります。感情や思考は移り変わっても、それらを感じ、認識する心の働きそのものは、常にそこにあります。私たちは、目の前の状況に一喜一憂するだけでなく、その奥にある普遍的な心の働きに意識を向けることで、より落ち着いて物事に対処できるようになるでしょう。
この章句が説くこと
未応不是先已応不是後
関連する章句
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伝習録・黄以方録「心は是れ一塊の血肉にあらず。凡そ知覚する処、便ち是れ心なり。耳目の視聴を知り、手足の痛痒を知るが如し。此の知覚、便ち是れ心なり」と。
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