伝習録 / 黄省曾録
癸末春,鄒謙之來越問學,居數日,先生送別於浮峰。是夕與希淵諸友移舟宿延壽寺。秉燭夜坐,先生慨悵不已。曰:「江濤煙柳,故人倏在百里外矣!」一友問曰:「先生何念謙之之深也?」先生曰:「曾子所謂『以能問於不能,以多問於寡,有若無,宜若虛,犯而不校』,若謙之者,良近之矣。」
新字:癸末春,鄒謙之来越問学,居数日,先生送別於浮峰。是夕与希淵諸友移舟宿延寿寺。秉燭夜坐,先生慨悵不已。曰:「江濤煙柳,故人倏在百里外矣!」一友問曰:「先生何念謙之之深也?」先生曰:「曽子所謂『以能問於不能,以多問於寡,有若無,宜若虚,犯而不校』,若謙之者,良近之矣。」
書き下し
癸未の春、鄒謙之、越に来たりて学を問う。居ること数日、先生、浮峰に送別す。是の夕、希淵ら諸友と舟を移して延寿寺に宿す。燭を秉りて夜坐す。先生、慨悵して已まず。曰く、「江涛煙柳、故人、倏(たちま)ち百里の外に在り」と。一友問いて曰く、「先生、何ぞ謙之を念うことの深きや」と。先生曰く、「曾子の所謂る『能を以て不能に問い、多を以て寡に問い、有れども無きが若く、実つれども虚しきが若く、犯さるるも校(むく)いず』、謙之の若き者は、良に之に近し」と。
現代語訳
癸未の春、鄒謙之が越に来て学を問うた。数日いて、先生は浮峰で送別された。その夕べ、希淵ら友人たちと舟を移して延寿寺に泊まった。燭を執って夜座った。先生は嘆いてやまなかった。「江の波と柳の霞。旧友はたちまち百里の外だ」。ある友人が「先生はなぜ謙之を思うことがこれほど深いのですか」と問うた。先生は「曾子のいう『能ある者が能なき者に問い、多い者が少ない者に問い、有りながら無きがごとく、満ちながら虚しきがごとく、侵されても報いない』。謙之のような者は、まことにこれに近い」と言われた。
解説
この章句が説くこと
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