伝習録 / 黄省曾録
先生鍛鍊人處,一言之下感人最深。一日,王汝止出遊歸。先生問曰:「遊何見?」對曰:「見滿街人都是聖人。」先生曰:「你看滿街人是聖人,滿街人到看你是聖人在。」又一日,董蘿石出遊而歸。見先生曰:「今日見一異事。」先生曰﹕「何異?」對曰:「見滿街人都是聖人。」先生曰:「此亦常事耳,何足為異。」蓋汝止圭角未融,蘿石恍見有悟,故問同答異,皆反其言而進之。洪與黃正之、張叔謙、汝中丙戌會試歸,為先生道塗中講學,有信有不信。先生曰:「你們拿一個聖人去與人講學,人見聖人來都怕走了,如何講得行!須做得個愚夫愚婦,方可與人講學。」洪又言今日要見人品高下最易。先生曰:「何以見之?」對曰:「先生譬如泰山在前,有不知仰者,須是無目人。」先生曰:「泰山不如平地大,平地有何可見?」先生一言翦裁,剖破終年為外好高之病,在座者莫不悚懼。
新字:先生鍛錬人処,一言之下感人最深。一日,王汝止出遊帰。先生問曰:「遊何見?」対曰:「見満街人都是聖人。」先生曰:「你看満街人是聖人,満街人到看你是聖人在。」又一日,董蘿石出遊而帰。見先生曰:「今日見一異事。」先生曰﹕「何異?」対曰:「見満街人都是聖人。」先生曰:「此亦常事耳,何足為異。」蓋汝止圭角未融,蘿石恍見有悟,故問同答異,皆反其言而進之。洪与黄正之、張叔謙、汝中丙戌会試帰,為先生道塗中講学,有信有不信。先生曰:「你們拿一個聖人去与人講学,人見聖人来都怕走了,如何講得行!須做得個愚夫愚婦,方可与人講学。」洪又言今日要見人品高下最易。先生曰:「何以見之?」対曰:「先生譬如泰山在前,有不知仰者,須是無目人。」先生曰:「泰山不如平地大,平地有何可見?」先生一言翦裁,剖破終年為外好高之病,在座者莫不悚懼。
書き下し
先生の人を鍛錬する処、一言の下に人を感ぜしむること最も深し。一日、王汝止、出遊して帰る。先生問いて曰く、「遊びて何をか見たる」と。対えて曰く、「満街の人、都て是れ聖人なるを見たり」と。先生曰く、「你、満街の人を看て是れ聖人なりとせば、満街の人も到(かえ)って你を看て是れ聖人なりと在らん」と。又た一日、董蘿石、出遊して帰る。先生に見えて曰く、「今日、一の異事を見たり」と。先生曰く、「何ぞ異なる」と。対えて曰く、「満街の人、都て是れ聖人なるを見たり」と。先生曰く、「此れも亦た常事なるのみ。何ぞ異と為すに足らんや」と。蓋し汝止は圭角、未だ融けず。蘿石は恍として悟る有るを見る。故に問い同じくして答え異なり。皆な其の言に反して之を進むるなり。洪、黄正之・張叔謙・汝中と丙戌の会試より帰り、先生の為に塗中の講学を道う。信ずる有り、信ぜざる有り、と。先生曰く、「你們、一個の聖人を拿(と)りて去きて人と講学せば、人、聖人の来たるを見て都て怕(おそ)れて走り了らん。如何ぞ講じ得て行われんや。須らく個の愚夫愚婦と做し得て、方に人と講学すべし」と。洪、又た言う、今日、人品の高下を見んと要するは最も易し、と。先生曰く、「何を以て之を見んや」と。対えて曰く、「先生は譬えば泰山の前に在るが如し。仰ぐを知らざる者有らば、須らく是れ目無き人なるべし」と。先生曰く、「泰山は平地の大なるに如かず。平地に何の見るべき有らんや」と。先生の一言の翦裁、終年、外を為し高きを好むの病を剖破す。座に在る者、悚懼せざる莫し。
現代語訳
先生が人を鍛える所は、一言で最も深く感じさせる。ある日、王汝止が遊びから帰った。先生が「何を見たか」と問うと、「街中の人がみな聖人なのを見ました」と答えた。先生は「君が街中の人を聖人と見るなら、街中の人もかえって君を聖人と見ているだろう」と言われた。またある日、董蘿石が遊びから帰り、「今日、一つ不思議なことを見ました」と言った。「何が不思議か」。「街中の人がみな聖人なのを見ました」。先生は「それも普通のことだ。何が不思議か」と言われた。汝止はまだ角が取れておらず、蘿石はぼんやりと悟るところがあった。だから同じ問いに違う答えをして、その言葉を反転させて進ませたのだ。私(徳洪)は黄正之らと会試から帰り、道中で講学したが、信じる者も信じない者もいたと申し上げた。先生は「君たちが一人の聖人を持ち出して人と講学すれば、人は聖人が来たと見て怖がって逃げてしまう。どうして講じられよう。無学な男女になりきって、初めて人と講学できる」と言われた。私はまた、今日は人品の高下を見るのが最も易しいと言った。「どうやって見るのか」。「先生は泰山が前にあるようなものです。仰がない者は、目のない人です」。先生は「泰山は平地の大きさに及ばない。平地に何が見えるか」と言われた。この一言が、外を飾り高みを好む病を切り裂いた。
解説
この章句が説くこと
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