伝習録 / 黄省曾録
先生曰:「蘇秦、張儀之智,也是聖人之資。後世事業文章,許多豪傑名家,只是學得儀、秦故智。儀、秦學術,善揣摸人情,無一些不中人肯綮,故其說不能窮。儀、秦亦是窺見得良知妙用處,但用之於不善爾。」
新字:先生曰:「蘇秦、張儀之智,也是聖人之資。後世事業文章,許多豪傑名家,只是學得儀、秦故智。儀、秦學術,善揣摸人情,無一些不中人肯綮,故其説不能窮。儀、秦亦是窺見得良知妙用処,但用之於不善爾。」
書き下し
先生曰く、「蘇秦・張儀の智も、也(また)是れ聖人の資なり。後世の事業文章、許多の豪傑名家も、只だ是れ儀・秦の故智を学び得たり。儀・秦の学術は、善く人情を揣摸し、一些も人の肯綮に中らざる無し。故に其の説、窮まる能わず。儀・秦も亦た是れ良知の妙用の処を窺見し得たり。但だ之を不善に用うるのみ」と。
現代語訳
先生は言われた。「蘇秦・張儀の智も、聖人の素質だ。後世の事業や文章、多くの豪傑名家も、彼らの古い智を学んだだけだ。彼らの学術は、人情をよく推し量り、少しも急所を外さない。だから説が尽きない。彼らもまた良知の妙なる働きを垣間見た。ただ、それを善くないことに用いただけだ」。
解説
縦横家の弁舌も、良知の働きを掴んでいたからこそ切れた。人情の急所を外さないのは、良知の妙用を垣間見ていたからです。同じ能力が、向きによってまったく別のものになる。才能そのものは、善悪を持たないのです。
この章句が説くこと
儀秦亦是窺見得良知妙用処但用之於不善爾