伝習録 / 黄省曾録
「今人於喫飯時,雖無二事在前,其心常沒役不寧,只緣此心忙慣了,所以收攝不住。」
新字:「今人於喫飯時,雖無二事在前,其心常没役不寧,只縁此心忙慣了,所以収摂不住。」
書き下し
「今人、飯を喫する時に於て、二事の前に在る無しと雖も、其の心は常に没役(もつやく)として寧からず。只だ此の心の忙に慣れ了るに縁る。所以に収攝して住まらず」と。
現代語訳
「今の人は食事をする時、他に何の事も目の前にないのに、心は常に忙しく落ち着かない。この心が忙しさに慣れてしまったからだ。だから収めても留まらない」。
解説
現代社会では、常に情報に触れ、やるべきことに追われ、心が落ち着かない状態が当たり前になっています。この一節は、食事中など、他に何もすることがないはずの時ですら心が忙しく落ち着かないのは、心が「忙しさに慣れてしまった」からだと指摘します。忙しさは、外部の状況だけでなく、内面の習慣や癖として身についているもの。だからこそ、物理的に暇になっても、意識的に心を静めようとしない限り、落ち着きを取り戻すのは難しいのです。
この章句が説くこと
只縁此心忙慣了所以収摂不住
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