伝習録 / 黄省曾録
「孔子氣魄極大,凡帝王事業,無不一一理會,也只從那心上來,譬如大樹有多少枝葉,也只是根本上用得培養功夫,故自然能如此,非是從枝葉上用功做得根本也。學者學孔子,不在心上用功,汲汲然去學那氣魄,卻倒做了。」
新字:「孔子気魄極大,凡帝王事業,無不一一理会,也只従那心上来,譬如大樹有多少枝葉,也只是根本上用得培養功夫,故自然能如此,非是従枝葉上用功做得根本也。學者學孔子,不在心上用功,汲汲然去學那気魄,卻倒做了。」
書き下し
「孔子の気魄は極めて大なり。凡そ帝王の事業、一一に理会せざる無し。也(また)只だ那の心上より来たる。譬えば大樹に多少の枝葉有るも、也た只だ是れ根本の上に培養の功夫を用い得たり。故に自然に能く此くの如し。是れ枝葉の上より功を用いて根本を做し得るに非ざるなり。学者、孔子を学ぶに、心上に功を用いずして、汲汲然として去きて那の気魄を学ぶは、却って倒(さかさま)に做し了れり」と。
現代語訳
「孔子の気魄は極めて大きい。帝王の事業をことごとく理解していた。それも心から来ている。大樹に多くの枝葉があっても、根本に養う工夫を用いたからだ。だから自然にそうなる。枝葉から努力して根本を作ったのではない。学ぶ者が孔子を学ぶのに、心で努力せず、あくせくとその気魄を学ぼうとするのは、逆さまだ」。
解説
孔子の器の大きさに憧れて、それを直接まねようとする。しかし気魄は、根本を養った結果として自然に現れたものです。大樹の枝葉は、根から育つ。結果を模倣しても、原因は生まれません。順序が逆さまなのです。
この章句が説くこと
学者学孔子不在心上用功汲汲然去学那気魄却倒做了