伝習録 / 黄省曾録
「良知只是個是非之心。是非只是個好惡。只好惡,就盡了是非。只是非,就盡了萬事萬變。」又曰:「是非兩字是個大規矩,巧處則存乎其人。」
新字:「良知只是個是非之心。是非只是個好悪。只好悪,就尽了是非。只是非,就尽了万事万変。」又曰:「是非両字是個大規矩,巧処則存乎其人。」
書き下し
「良知は只だ是れ個の是非の心なり。是非は只だ是れ個の好悪なり。只だ好悪すれば、就ち是非を尽くせり。只だ是非すれば、就ち万事万変を尽くせり」と。又た曰く、「是非の両字は是れ個の大規矩なり。巧の処は則ち其の人に存す」と。
現代語訳
「良知は是非の心だけだ。是非は好悪だけだ。好悪だけで、是非は尽くされる。是非だけで、万事万変は尽くされる」。また「是非の二字が大きな規矩だ。巧みさは、その人にある」と言われた。
解説
物事の善悪や正否を判断する時、私たちは複雑に考えすぎてしまうことがあります。しかし、本質はもっとシンプルで、あなたの心が「良い」と感じるか、「嫌だ」と感じるか、その素直な感覚に尽きるのです。この「好き嫌い」という心の動きこそが、あらゆる判断の出発点であり、それに基づいて行動することで、複雑な状況も自然と整理されていきます。大切なのは、その素直な感覚を磨き、状況に応じて巧みに使いこなすこと。その判断の基準は、誰の心にも共通して備わっているのです。
この章句が説くこと
只好悪就尽了是非只是非就尽了万事万変
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